おつらいですね。日本人の寿命が延び、医療が進み、あなたが直面しているような現実を目の当たりにして戸惑いを覚える人はたくさんいると思います。老いた親のさまざまな姿をどんな気持ちで受け入れていけばいいのか、それを一緒に考えましょう。
いつか寿命が尽きて「生」を終えるというのは、人間の宿命です。それを頭では重々わかっていても、実際に「死」を受け入れる心の準備ができていないと、前段階として、どんな状況になるかということに、必要以上に心がかき乱されると思います。
まず私たちは、自分の死を受け入れることからはじめる必要があるかもしれません。それができないと、愛する人が人生の最終章を生きようとしているときに、勝手に気の毒に思って暗い気持ちになったり、うろたえたりするからです。
とはいっても、死ぬとどうなるかを体験して聞かせてくれる人はだれもいないわけですから、だれもが死を恐れるのは当然でしょう。できることなら、それにまつわることはいっさい考えたくないと思ってしまいますよね。
しかも人生の最終章は、病気、事故、老衰など、見ているほうにとってもつらいものばかりです。なぜならば、人生を終えていくということは、持っている機能を失っていくということだからです。
でも、死にまつわることを考えたくないと拒絶していると、「死」そのものを忌み嫌い、ひいてはその過程まで忌み嫌うようになっていきます。そういった見えない心理が、知らないうちにあなたを苦しめているような気がします。それを乗り越えましょう。
実は私も、義父が脳梗塞、母が認知症になり、最初はその姿を見るたびに、ひとりになると気持ちが沈んでいました。余計なことをいっぱい考えました。でもこう思ったんです。「すべてのものが移り変わっていく中で、私は何を憂いているのか。目の前で生きている父や母のことを100%認めないで、何を願っているのか。この先、何年こうした状態が続いて予期しないことが起きても、今ある命を尊重して精一杯のエールを送ろう」と。
あなたの気持ちはよくわかります。私があなたに伝えたいことは、人間の死は、どんな形で訪れようと、おごそかで尊いものだということです。だから、ひとりの人間が人生に幕を下ろしていく最終章もまた、どんな形であっても、おごそかで尊い時間なのです。
そういう気持ちを忘れると、お父さんを見るにつけて、元気だったときの姿と比べて哀れんだり、自分の身に置き換えて同情したり、何のために生きているのかと胸を痛めるようになると思います。
お父さんは今、あなたよりはるかに長い人生を生き延びて、持てる限りの力を振り絞って最終章を生きているのです。苦しくても、無念でも、お父さんはそれを受け入れていくことでしょう。きっと、自分の魂が決めたように歩いているのだと思います。
そのことを信じてください。魂は、常に自分のためではなく、子どもやほかの人のためにその身を使うことがあるからです。もしかしたら、お父さんの魂は、残された時間で子どもに大切なこと伝えようとしているのかもしれませんよ。
そんな気持ちで心と心の対話をしてみてください。そして、最期までお父さんの人生を尊重して、少しでも平穏に過ごせるように祈りましょう。