感情の起伏はだれにでもあります。普段から「やさしい自分でありたい」と願っている人ほどキレた自分をいやがり、責めてしまうものなんですね。でも、それは逆効果です。心という引き出しには、怒りもやさしさも"すべての感情"が入っています。怒りを否定しないで"本来のやさしさ"を引き出しましょう。
あなたが「自分は根本にやさしさを備えた人間ではない」と思っているのは勘違いです。人間は、自分の心に備わっていないものを自覚することはできません。あなたは「根本的なやさしさ」と「他人の痛みを解る心」を持っているのに、うまく機能させられないから苦しんでいるのです。「本当のやさしさはこんなもんじゃない」と思うのもそのせい。
キレて怒りの感情が飛び出すからには、それなりの理由があるはずです。キレた自分を責める前に、怒りの陰にある痛みを汲み取るようにしましょう。「他人の痛みを解る人間になりたい」とあなたは書いていますよね。その想いを自分に向けることが先決です。
怒りは、憎んでやっつけようとすると、さらに抵抗して自己嫌悪や逆恨みといった余計な感情を引き出してきますが、「そういう気持ちになるのは仕方がない。わかる、わかる」とキレた理由を受けとめてあげると鎮まってきます。
心というものは、同時にふたつの感情を取り扱うことができません。だれの心も、怒りが渦巻いているあいだはやさしさが入り込めないのです。でも、痛みを汲んで怒りを鎮めることで、やさしさが入るスペースを作れます。
そのために必要なものは、努力ではなく"自愛"です。自分を愛するという視点から、自分という人間を理解する練習をしましょう。その過程で、自分の苦悩をだれにもわかってもらえないさみしさに出会うかもしれません。さらに、だれもが同じさみしさを抱えて生きていることに気づくかもしれません。
それでいいんですよ。私たちは「自分の痛み」を通してしか「他人の痛み」を理解することはできないからです。そのことに気づくと、自分を大きく成長させることができて、本来のやさしさが現れるようになると思います。
あなたは、ふだん自分にかけている言葉を、無意識に他人にもかけていることに気づいていますか。つまり、自分を労わる気持ちや信じる気持ちをしっかり育めば、他人を労わる言葉や信じる言葉は自然に出てくるようになるということ。
「本当の意味で他人にやさしい人間になりたい」と願うなら、本当の意味で自分にやさしい人間になってください。心に巣食う痛みを察し、受け入れ、自分自身の存在を慈しみ、応援することが"自愛"です。
そんなふうに自分を愛するために、今とは別人になれと言っているのではありませんよ。逆に、今の自分を否定することをいっさいやめて、今の自分が秘め持っている可能性を信じることが大事なのです。
まずは自愛を言葉にして何度も自分に言い聞かせましょう。「私には本来のやさしさを放つ勇気がある。私は自分を愛するように、他人を愛することができる」と。人間は最終的に、自分が決めたような人間になっていきます。あなたはきっと、決意して実行した通り、本来のやさしさを発揮してまわりを幸せにする人になるでしょう。