完璧主義だというあなたは、自分がすることにも、対人関係にも、完璧な状態を求めて身を削るような思いでがんばってきたのでしょう。でも、人間としての器をもっと大きくするために、完璧主義を卒業するときを迎えたようです。
私も以前はバリバリの完璧主義者だったのでよーくわかります。完璧を目指す人は、ものごとを何でも「いい」「悪い」で判断する傾向があるんですね。あなたの中には「いい」=「人に好かれること」「自他の幸せな感情」。「悪い」=「人に嫌われること」「自他の不快な感情」という図式がありませんか?
しかし、世の中のあらゆる物事は、あなたという人も含めて「陰」と「陽」から成り立っています。「陰」は「悪い」部分ではなく、ただ陰の特色を持っている部分。それを受け入れたくないと抵抗すれば、必ず苦しくなります。
悲しみ、さみしさ、怒り、不安といった「陰」の感情はだれもが持っているもの。自分のそれを嫌って抑えつけるならば、自分がなくなってしまうのは当然です。なぜならそれは負でも悪でもなく、とても人間らしい感情で、死ぬまであなたの一部分だからです。
もっと言えば、人間はだれもが不快な感情を知っているから、幸せな感情を大切に育もうとするんです。また、不快な感情はメッセージでもあるんですよ。「本音に気づいて!」
「現状を変えてもっと幸せに過ごそうよ」と伝えているのです。
完璧とは、自分の中から感じたくない感情を排除することではありません。完璧な人間関係とは、いやな感情にフタをして作り笑顔で付き合うことではありません。あなたの中にあるものを、全部受け入れましょう。その上であなたは怒っていいし、だれかを嫌ってもいいし、だれかに嫌われたっていいんです。それを自分に許してあげませんか。
すると、今よりもずっとやさしいあなたになれるでしょう。自分自身に許したことは、人にも許せるようになるからです。たとえば、あなたのことをある人が嫌っても「それはあの人の自由」と許すことができたら、あなたは過去のとらわれから解放されます。
さあ、あなたの中の完璧の定義を書き換えましょう。"あるがままのあなた"が完璧で、それ以外はすべて虚像です。これ以上、本音を隠して優等生でいようと無理をすることはありません。飾らない自分を心から愛しんであげましょう。
まわりがちゃんと見えていれば、あるがままに振る舞ってもワガママにはなりません。違いは、相手に迷惑がかかっても平気で自分勝手な行動をする人がワガママで、相手の事情を考慮しながら"本音の触れ合い"を率先する人があるがまま。「陰」に流されず、かといって「陽」だけを求めない心構えが必要です。
本音を隠した優等生やワガママな人より、飾らない人のほうがずっと好かれます。格好つけないで「陰」の姿を見せると、「あっ、私と同じだ」とみんな安心するんですね。まわりの信頼を勝ち取るのは、相手にも「本音でOK!」と感じさせるオープンな人なのです。
これは"人と関わる仕事"に就いても同じですよ。あなたから心を開いて触れ合っていけば、そこに"相手が自分を開放しやすい場"が生まれます。みんなそれを求めています。いつもあなた自身が作り出す場という環境が、自他を疲れさせもすれば幸せにもすることを覚えておいてくださいね。