「もう別れたほうがいい」と結論を出したら、「まだ未練がある。期待したい」と心が訴えてくる。それで混乱してしまうのですが、心の整理がつけられないときは、自分を追いつめないこと。今は"自分を知る絶好の機会"です。自分を知ってから、大切な人生の選択をしましょう。
最初に、『信じる』と『期待する』はイコールではありません。むしろ正反対に近い。信じるが『愛』、期待するは『エゴ』と置き換えられるくらい、この2つは違うのです。そのことから説明しましょう。
相手を信じるのも期待するのも主体は自分ですが、一番の違いは、思うようにならなかったときの自分の反応です。『期待する』は根本がエゴなので、期待を裏切られれば頭にきて、相手を責め、ときには逆恨みすることさえあります。
『好きな人にいろんなことを期待しては、がっかりさせられてムカついた』という経験は、きっとみんなしていると思います。ムカつく心に潜むものは、自分の「身勝手」や「甘え」だったりするわけですが、あなたの場合は「報酬」のようです。
あなたが彼を信じるのは、「いつかは彼が浮気をしなくなって私だけを大切にしてくれるようになる」と期待して。そこには「彼を信じて待っているとわかれば、彼は心を動かされて変わってくれるかもしれない」という無意識の計算があるように感じます。
つまり、あなたは彼を心から信じてはいないんですね。その状態で「頑張って信じれば、あの報酬が手に入れられるかもしれない」と期待しても、自分がすり減っていくだけです。そんなことをくり返していたら、いずれ燃え尽きてしまうでしょう。
そうなる前に、あなたに気づいてほしいことがあります。それは、恋人に期待する感情は当たり前のようにわいてくるものですが、もしあなたが、人間としてもっと成長し、本当に人を愛せるようになりたいと願うのなら、「自分の期待を捨てる」ことからはじめなければなりません。
そしていつか、本当に人を信じる、『信じ切る』体験をしてください。何の見返りも期待せず、純粋に相手を信じる。そこに価値を見出して生きるとき、愛を貫くことができます。たとえば、母親がたびたび非行に走る我が子を信じて待ち続ける心境を想像してみましょう。それは母親のエゴではなく、その子をただ愛してあげたいからですよね。
そこには、結果を予想して「もう裏切られたくない(傷つきたくない)から私は離れる」といった感情は存在しません。愛とは、自分が悲惨な目に遭っても相手を許す心を持っていることであり、また決して自分は後悔しないことなのです。
あなたがそんな気持ちで彼を信じて待てるのなら、たとえふたたび裏切られたとしても「信じ切った自分」に満足してピリオドを打てるでしょう。
『人を信じる』ということは、相手の問題ではなく、自分の問題だということがわかりましたか。それはあなたが、どんな人間でありたいか、どんなふうに人を愛したいかという問題なのです。
あなたの中でそのことがはっきりすれば、恋愛の中身が変わると思います。その相手として、価値観をすり合わせてともに生きていくのが、今の彼なのか、それとも別の人なのか、それを選択するのはあなたですよ。