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カウンセリングメッセージ

Vol.09 「偽り」

From ぺぺさん

私の職業は看護師です。母は10代で私を出産してから仕事に生きていたので、私は祖母に育てられたと同然で、母よりも祖母が大好きでした。そんな祖母が難病で、病院で最後の延命治療をするか否かの決断になったとき、私自身が「このままでいいです。延命ではなくきれいな体のままで」と医師に伝えました。お葬儀後も両親・親戚からいろいろ言われました。それ以来、私は心が痛いような、すっきりとしない、口では何とも言い表せないような複雑な気持ちで毎日を過ごしております。職場でも患者さまと接するとき、心から触れ合っているだろうか?という思いが胸をよぎるようになりました。同僚とも、心から話や相談ができなくなりました。祖母の死をきっかけにして、心から自分が笑っている日が少なくなったと感じます。ただ自分が傷つかないためにだけ、ずるく生きている"偽り"の自分がいることに気がつきました。

 あなたの心境は胸が痛くなるほどわかりますよ。両親や親戚からいろいろ言われたことで、あなたは罪悪感を背負ってしまったようですね。それで無意識のうちに、「楽しく笑っていてはいけない」という自分を罰する感情に支配されているのだと思います。

 延命治療については、ご本人が生前に意思を明らかにしてない限りは、個々の死生観が左右してさまざまな意見が飛び出すのは必至ですが、あなたに大切なことは「自分は何を信じて生きていくのか」ということです。それをいっしょに考えてみましょう。

 前提として、以下のことを一般論として踏まえておいてください。

(1)人は自分が責められないように振る舞うところがあるということ。それは責められて傷つくことが怖いから。ようは、だれもが責められて傷ついた体験があるからなんです。それゆえに、はなから無難な態度をよしと考える人たちが大勢います。

(2)肉親やいとしい人の死期が迫ったとき、「死なないでほしい」という感情が強く働くのは当然のことですが、「どんな状態であっても息をしていて!」と願う心には、自分が悲しみたくないという感情が働く場合、つまり、自分が肉親の死を受け入れる準備ができていない場合がよくあります。

(3)自分自身が死を恐れている人(特に肉体が自分のすべてと思っている人)は、「もう少し生きていられるのにあえて延命しない」ということを受け入れがたいので、それに反する行為はだれのことでも非難しがちです。

 さて、あなたは、難病に苦しんできたお祖母さんに代わって大きな決断を下しました。それができたのは、お祖母さんのことをだれよりも愛していたからだと思います。お祖母さんの気持ちがわかっていたのでしょう?

 あなたは職業上、延命治療のたいへんさやむなしさを熟知しているけれど、けして打算的な思いで決断したわけではないはず。だからこそ、自信を持って宣言できたのです。

 ところが、「死なないでほしかった。悲しい。さみしい」という感情をだれよりも強く感じているところにまわりから非難されて、はたして自分がしたことは本当に正しかったのかどうかわからなくなってしまったのでしょう。

 そうなると、頭の中は理屈が渦を巻いて"真実"が見えなくなります。それと同時に、自分のすべてが偽りのようにも見えてきます。これが今のあなたの状態です。

 じゃ、真実はどこにあるのかというと、あなたとお祖母さんの間にあります。二人の間に確かにあったもの(愛や信頼)は二人にしかわかりません。それを信じることが、自分を信じるということなんですよ。

 お祖母さんと触れ合ってあなた自身がつちかったものを信念にして生きていくのか、それとも間違いだったと反省して信念を変えるのか、それは自由です。でも、決めるときは「どれならば無難か?」ではなく、「どんな自分でありたいか?」と自問してくださいね。

 お祖母さんは生前、あなたを心からかわいがったことでしょう。お祖母さんの魂は、あなたに最後にしてあげられることとして、大きな選択をさせ、『まわりに振り回されないで自分を信じて生きる』という大事なことを学ばせようとしているような気がします。

 だとすれば、あなたに必要なものは、自分にもいろんな感情があることを見据えた上で、自分が正しいと信じることを貫く勇気です。自らの信念をしっかり持って、堂々と生きていきましょう。それが、お祖母さんが大切に育ててくれた自分を大切にすることですよ。

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Last Updated: 2008/09/17