問題はあなたが孤独かどうかということではありませんよ。あなた自身が自分を制限しているところが問題なんです。
孤独それ自体は悪でも善でもなく、ひとりきりがイヤだと思う人はそれを「暗いニュアンス」で使い、逆にひとりきりを好む人はそれを「快適なニュアンス」で使います。一般にはひとりきりは寂しいと感じる人が多いために、「孤独=寂しくつらいもの」というイメージが定着しているだけです。
あなたのように孤独を楽しむすべを知っている人たちは、物理的にひとりになる時間を自ら持とうとします。その間に、さまざまな作品を通して古今東西のすぐれた人物の考えや感性に触れたり、自分で何かをクリエートしたり、あるいは心の奥深くに入っていって宇宙との一体感をはかろうとするかもしれません。
だれにも邪魔されず崇高な満足感を得ることは、確かに幸せなことでしょう。ひとりで生まれてひとりで死んでいくのが人間の定めですから、物心両面で孤独を受け入れることは「自分の存在を受け入れる」という意味でも必要なことだと思います。
しかしそれと同じくらい、自分と同じ宿命を背負って生まれてきた他の人たちと直に触れ合うことも重要なのです。なぜなら、そこには生身の人間とかかわることでしか得られない貴重な体験があるから。その主なメリットを4つあげましょう。
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自分の思い通りにならない人間関係を体験できる。
生身の人間同士がぶつかれば自分の思い通りにはならないので、頭だけでわかったような気にならないこと、またひとりよがりにならないことを学ぶことができます。人間としての器を大きくするためには、自分も傷つきながら同じ人間としての痛みを知っていくことはとても大事です。
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(2) |
自分が認められて理解される喜びを味わうことができる。
他人が自分という人間を認めてくれて心と心がつながると、"両方向の分かち合い"がはじまります。自分が心を開くことで相手も心を開き、自分が理解を示すことで相手も自分のことを理解してくれる。以心伝心を実感できれば、それは人間として大きな発見になるでしょう。
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(3) |
互いに助け合うことのすばらしさを知ることができる。
「だれかの力になりたい」という願望は人間の本能です。つまらない我欲を置いて純粋な気持ちで人を助けることができたとき、進んで人に力を貸すことができたとき、あるいは逆に人から純粋な気持ちで助けられたとき、改めて人間の偉大さに感動することでしょう。
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(4) |
自分は何のために生まれてきたのかを実感できる。
かの有名なアインシュタインは言いました。「人は人を幸せにするために生まれてきたんだよ」実際に、自分のような小さな存在でも人を幸せにできているとわかれば、そんなふうに自分を使って生きていけることを喜び感謝するようになるでしょう。それが人生に生きがいをもたらします。
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あなたは「人間関係を絶っている」と書いていますが、もし今「あえて」そうしているならば、これからは人間関係のわずらわしさに負けないで、また自分が傷つくことを恐れないで、実体験からもっと多くのことを学ぼうとしてください。
そんな中から気の合う仲間ができて友人や恋人が生まれ、それまでひとりで楽しんできた世界が「仲間たちと分かち合う世界」に変わるんですよ。人間としての最上の幸せは、愛し合うことです。愛は"実践"です。それを忘れないでくださいね。