「命波理論」第二回   わたしたちは、考える葦である・・・(受講生:井上治子さん)


 

宇宙の真髄

光透波

 

第二回

 

言葉に訊き、字を割ることで光透波からもたらされる真理を知る

 

   「光透波」とは、
  人間が使っている言葉の原因で、命そのものなのです。
    太始にコトバあり、
    コトバは神とともにあり、
    コトバは神なり
  この場合の言葉とは、日常私たちが使っている言葉ではなく、その言葉を可能に
  している力のことであり、「光透波」と書くのが適切であると考えます。

 

 

嘘は魂を傷つけること

大いなるものへの冒涜

 

 人が為す愚行の中でもその最たるものは言葉を使って嘘をつくことです。何しろ「人」が 「為」す、という2文字を合わせると「偽」」と読むくらいですから。

人間とは嘘をつく動物であると言ってもいいくらいです。他の生物は嘘をつきません。いずれにしても言葉を持ちませんからつくことはできませんが。

人が嘘をつくと何が起きるかと言いますと、その人の意識の振動数が下がるのです。意識の正体は実は言葉、あるいは詞(コトバ)なのです。命波では人が概念として使用しているコトバを「言葉」、あるいは「語」と表現し、神聖なエネルギーを持つコトバを「詞」、あるいは「光透波」と表現します。

本来はこの神聖なエネルギーである光透波を人はエネルギーダウンした状態の言葉として使っています。「言葉の原因は光透波」というのはそういう意味です。

言葉は概念であって、宇宙の普遍的な意味を持ちません。エネルギーダウンするとはそういう意味です。それだけならまだしも嘘をつくのに使っています。それで更にエネルギーダウンします。

個々の意識は人類全体の意識とつながっており、それが人類の集合意識を形成しています。人類の集合意識は概念の集大成です。

そして嘘の持つ低い振動エネルギーの影響は波及的に集合意識全体に及びます。私個人の感覚ですが、ある種の嘘は粘りつくような、不愉快なエネルギーを出しています。このようなエネルギーが充満している中で生きている私達人間の多くは騙され、傷つき、苦しんでいます。

これに対し、大いなる意識、宇宙意識と呼ぶ人もいますが、この絶対的に公明正大なエネルギーには嘘というものがありません。全てが真実です。真実のエネルギー、これが光透波エネルギーです。そしてそういう輝かしく神聖なエネルギーを人は大昔から「神」あるいは「超越的な存在」として憧れてきました。

しかし、どんなに望んでも「神とつながった」、「大いなるものと一体になった体験をした」と言った人はほとんどいませんでした。

私の師である小田野先生は、この大いなるものを神とは呼ばず「真空様」と呼んでおられましたが、真空様とつながる方法は一つしか思いつかない。それは嘘をつかないことだと言っておられました。真実しか口にしないということが、真実で出来ている真空と同調できる唯一の方法だと言う理論です。

 

嘘をつくと

神の愛や助けが届かなくなる

 

 本来、人は常にそういった状態にいなければいけません。

しかし、人間社会は嘘をつかないと生きていけない構造になっています。この世は嘘で固めた世界とも言えます。その中で嘘をつかずに生きるには命がけの覚悟が要ると思います。一般的に考えると、徹底してその姿勢を貫くことはなかなか出来ないでしょう。しかし、毎日可能な限り正直でいると最終的には神聖なるエネルギーとつながれるかもしれません。

 正直という字は「正しさに直である」と書きます。

「正しい」という字を分けると「一」(第1回で説明した絶対という意味)と「止」となります。

この「止」という字が重要です。「如来如去」という言葉がありますが、如くとは何でしょう。実際はそうではないという意味です。つまり実際には来ても去ってもいないのにそのように見えるということです。

小田野先生は「絶対最高速度」を表現している言葉だと言います。行ったらもう来ている、まるで止まっているような速度。これ以上速いものは無いという速度のエネルギー、「止速」のエネルギー、それが光透波だと言っています。

この絶対的な止速に直接つながるという方法が「正直」だということです。

 この状態だと、憧れの神、つまり理想と現実の自分との間に相克がありません。葛藤がストレスの最大原因ですから、ストレスが少なくなれば、当然あまり病気にはなりにくくなります。

 また人生に満足していると、不要な物を欲することも無くなります。不要の物を欲するのは何かが足りないからであり、その足りない心をごまかし、代わりの何かで埋めようとしている思いも嘘ということになりますね。

 嘘は病と不幸の源です。嘘の振動を放出していると真実である光透波のエネルギーが流れ込んでこないということになります。

真空様は絶対の愛ですから、罪を咎めたり罰したりはしません。つねに全ての物を慈しみ、育み、生命のエネルギーを供給し続けているだけです。罪と罰は概念です。これは人間の意識の所産です。

 

自分で自分に嘘をつく

愛情が実は執着だったことも

 

 人は自分にも嘘をつきます。まず、びっくりされるかもしれませんが、「子どもを愛している」という思いも嘘の場合が多いのです。何故なら、この愛にはえてして子どもの人生を自分の思い通りにしたいという欲求が含まれています。これは真実の愛ではありません。この時の感情は何かというと、子供に対する「執着」です。

 また、人は何でも知っているという思い込みに捉われている場合が多いのも事実です。ですから、誰かに「それは違いますよ」と言われたり、批判されたりするとものすごく腹が立ちます(笑い)。

 一番分かりやすい嘘は「私は嘘なんかついていません」ということですね(笑い)。

とくに次のような方は、自分の心にもう一度問うてみてください。

 

・家族の中に不協和音がある

・苦しく辛い思いから逃れられない

・親とうまくいかない

・過去に持った恨みが忘れられない

 

 このようなことを抱えている人は、実際は人生に問題があるのですが、多く場合まるで問題が無いようなふりをして生きています。問題を見ようとしない。解決しようと行動しない。相談もしない。たとえば実生活でいうと、実家とうまくいっていないときは、法事のときにしか寄り付かないとかね(笑い)。

 それも嘘をついているのです。ほんとうは行きたくないのに、その感情を認めず、何か他の理由をつけているわけです。

あえて苦しまなくてもいいことに苦しんでいるようなものですね。正直であればいいだけなのに。やること為すこと気にくわない人を嫌いだと認めないから苦しい。認めないとかえって憎しみが生まれるのに。

問題と対峙しないと決して解決することはできず、それが全部しこりになります。

 

先入観、既成概念を手放すと

心は自由になる

 

日々、人は多くの失敗を重ねながら生きています。それで、少しでも進歩するため本を読んだりしますが、そこから答えを見つけるのは困難です。先人の智恵さえ役に立たない場合もあります。ずっと模索してきたが、そこに答えはなかった。あるいはあったかもしれないが、それが答えだとは気づかなかったのかもしれません。

見つけることができなかったのは、あなた自身の準備ができていなかったか、もしくは心を偽って生きてきたからです。

準備ができている状態なら先人の智恵も役に立ち、書物に書かれたことも納得できます。そうでない場合は、自己欺瞞や思い込みによって心が閉ざされていて、真の理解を導き出すことはできません。人は思い込みの中で生き、その思い込みに固執しているのです。

そんなせまい世界に閉じ込められないためには、まず既成概念を鵜呑みにしない。先入観を捨てる。そして人に依存しきらないことです。人は夫々がまた既成概念を持っていますから。

 

光透波の音を観ると

世界を開くカギが見える

 

迷いや不安から、自分に嘘をついてしまいそうなときは、すぐ他人には依存せず、まず自分と向き合い、言葉にそして字に訊いてください。そして字を割ってみてください。10回、100回と字を割り、字が運んでいる音の心、つまり宇宙の意(音+心)を発見していきましょう。そのときに概念が壊れるという体験をすることで少しずつ開放されていくのです。

何度も何度も字を割り、音の心を発見し、これでもかこれでもかというほど概念が壊れる体験をし続けていると、あるとき、ふと周りの状況がとてもはっきりと見えるようになってきます。それでも、まだまだいろいろあるのですが…(笑)。

困ったときは言葉に訊く。字を割って、そこに姿を現す大本の光透波を観て、いわんとしていることを謙虚に受け止めてください。光透波は誰に対しても平等に真理をもたらしてくれるはずです。