第九話「光透波」   第十話「止速と絶対」  


第九話

 

光透波

 

 想像してみてください。黄金の透明な光の極微の粒子が超高速で回転しつつ振動してい

る世界を。その光のあまりの速さを表現するために、「如来、如去」という言葉があります。

来たと思ったらもうすでに去っている、つまり人間には把握することも感知することもで

きないほどの高速度ということを表現している言葉です。仏教では如来はあまりにも速い

ために人間にはまったく感知できないので、衆生済度の為に振動数を下げてこの現象界に

出現する存在があり、それを菩薩と呼ぶと教えています。

振動する光の波が至高の速度を持つ時、それは絶対透明となります。絶対透明とは比類

なき透明度という意味です。そして絶対透明な速度以外の波は比較可能な、つまり相対的

な速度となります。私たちは通常宇宙に充満する森羅万象、恒星や惑星や惑星上に生息す

る生物が形態を持っているかのように認知するような感覚機能を持たされています。実際

には振動する微細な粒子だけなのに、脳はそれを形として認知しています。そして見たも

のの形がそれ以外の何物でもないという錯覚をして生きています。それぞれの人間が錯覚

として感覚した認識は「言葉という概念」のラベルを貼られて、膨大な記憶庫に電磁気的

に記録保存されています。人間の思考の集大成とも言えるこの記憶庫は、喩えて言えば大

河のように流れています。その河から人はまた様々なイメージを断片的に汲み上げて「自

分の思考」だと思って一喜一憂して生きています。その河は「マインド」とも呼ばれてい

ます。

インドのカルキ・バガヴァンが設立したワンネス・ユニバーシティーで先月(9月)教

師の一人が私にこう説明してくださいました。

「私たち人間はマインドという思考の流れの中からその断片を受信しているアンテナに

しか過ぎません。そして何を受信するかという選択肢すらほとんど持っていないのです」

と。ある時、他の教師にはこう聞きました。

「自由意志というものは幻想の一部なのです。それは自分というものが有るという錯覚

の上に成り立っています」と。

小田野早秧は以前私にこう言っていました。

「自分の思考などというものは無いのです」と。そして、「宇宙に実在するものは光透波

だけです。他のものは全て人間が有ると錯覚しているもの、つまり概念にしか過ぎません」

と続けました。そして私たちが形あるものとして認識している森羅万象は光透波から生ま

れてきた、相対的速度を持った遅い光であるとも言っています。そしてその形態は認知す

る器官によって異なるものだとも言っています。

私の中でカルキ・バガヴァンの教えと小田野早秧の教えとが矛盾なく合体した瞬間でし

た。

現象界ではなく、神の国とも呼ばれている真空界とは、絶対至高速度の透明な波(振動)

が作る音によって構成されていて、その世界は整然たる秩序の本に機能、展開しており、

かつまた創造と崩壊とを繰り返している光透波の大海原なのだということが少し掴めてき

ました。