第五話「意識」   第六話「文字が語る宇宙の真理」  


 

第五話

 

意識

 

 意識とは何でしょうか。定義はいろいろあります。ひとつには、「今していることが自分

で分かっている状態、すなわち自分自身の精神の直観」、また「対象に対する認知を意味す

る」と広辞苑にあります。意識の生理的基礎は脳髄の活動だとも言っています。哲学的な

意義を調べ始めると更にややこしく分かり難くなります。おまけにそれが何かという決定

的定コンセンサスがないのです。

文字を分けて見ましょう。意は前回紹介した「音の心」。識は二つに分けると「言(コト

バ)と戠(ショク)」になります。戠は識別するために目印をつけるという意味だそうです。

コトバで目印をつけるって何でしょう。リンゴとミカンは違う、海と山は違うものだと識

別するためには違う名称が必要になります。対象を認識するためには対象ごとに異なる名

称が必要になります。

記憶庫にすでに「ヒョウ」という単語と「ヒョウのイメージ」の両方があるから、「ヒョ

ウ」という音を聞くと「斑点のある大型の猫のイメージ」が脳裏に浮かぶ。反対に「斑点

のある猫」を見ると、「ヒョウ」という名称が脳裏に浮かぶのだと、近代言語学の祖フェル

ディナン・ド・ソシュールは言っています。どっちか片方あるいはどっちも記憶庫になか

ったら、「???」何が何だか分からないということになります。

さて、この意識という熟語の文字は二つとも「音」に関係していて、しかもコトバに関

係しています。意識というのはある見方をすれば「コトバ」なのです。人間はそれを使っ

て考え、自己表現し、意思を伝えるために話したり、文章を書いたりしているわけです。

「意識とはコトバである」とは広辞苑には書いてありません。新しい定義です。ちょ

と飛躍しましたので、説明します。

「私は今悲しい」と感じているとします。「私」も「今」も「悲しい」もコトバです。こ

れを使えないとしたら、誰が何を感じているのかをはっきり認識できないのです。「今して

いることが自分で分かっている状態」とは言えません。ヒョウというコトバを知らなかっ

たら、「対象に対する認知」は出来ません。

もう少し字分けをしましょう。識を三つに分けると、「言と音と戈(ホコ)」です。コト

は実際に音で出来ていますね。ヒョウは「ヒとョとウ」という音です。それから戈は何

かを突き刺す道具です。コトバでもって突き刺して孔を開けるのがどうして意識の識なの

でしょう。コトバは鋼で出来てはいませんからそれで突き刺してもまあケガはないでしょ

うけれど、でも多大な影響力は持っていますね。「あのコトバでグサリと突き刺された」と

いう表現もあるくらいですから。それほどコトバの持つ力は大きいということで、人間関

係を円滑にするためにはその使い方に気をつけなければならないと思います。