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   一字でも大違い    微生物たち


微生物たち

 

 友人で酒つくりをしている寺田啓佐さんの年賀状に面白い話があったので、ご紹介するとともに微生物というものについても少しお話をします。

 寺田さんによれば、「火落ち菌[]」という微生物は酒蔵では最も恐れられている菌だそうで、これが繁殖すると酒は濁り、酸っぱくなり、場合によってはアルコールを食べてしまうそうです。それで、酒造業界では大変な「悪玉菌」と観られているそうです。

 

 ところが、この菌が寺田本家の蔵では免疫を高め「百薬の長」を(かも)してくれるとても大切で素敵な仲間と観ているのだそうです。

 何でそうなったのかを寺田さんは推測しています。彼は毎日この菌に対し、「ごめんね」「ありがとうございます」と語りかけているのだそうです。結論として、寺田さんは、菌をどう観るかによって観られる菌が変化してくると書いています。そして、何故そうなるのかは、「すべての”いのち”を愛でつないでゆこうとする自然の摂理なのだ」と説明しています。

 

 菌は英語でvirusに相当することばです。日本語では「ウイルス」と言っています。新型インフルエンザ、とりインフルエンザ、ぶたインフルエンザ、エイズなどの怖いような名前の疫病を引き起こす原因と見られています。これに対し「抗ウイルス」という薬剤投与する、あるいはウイルスに感染しないように事前にワクチンを投与して免疫をつくっておく、というような処置が専門かによってとられています。

 

つまり闘っているのです。闘って殺してしまおうという行為です。体を蝕む怖い生き物なので、排除したいと思う気持ちは分かります。排除できるのなら、まあそういう殺戮は正当であるからして、「悪玉菌よ、迷わず成仏せよ」と気持ちの整理をしてしまうことで一件落着となりますが、そうはいかないのです。敵もさるもので、なかなか排除できない。さあどうしよう、と腕をこまねくことになります。

 

ところが、寺田さんのように闘わない、受け入れて愛し、しかも謝るという選択肢があるのです。これは素晴らしい情報です。でも必ずしもうまくいくとは限らないのでは?と思う人もいるでしょう。おそらく大多数の人が「そんなことは決してうまく行かない」と思うのではないでしょうか。しかし私は、この「打消しの意思の大合奏」に勝る力を発揮することのできる意思を持っているかどうかで結果が出てくるように思うのです。寺田さんには「不動の信念」があります。この強い信念が結果を起こしているのでしょう。寺田さんが書いた『発酵道[]』を読むと、彼の微生物たちに対する愛情が溢れています。

 

微生物たちは、それぞれの役割を心得ていて、一匹一匹が自分の出番になったら大いに働き、使命をまっとうして、役目を終えたら消えていく。そして次に来る微生物に「バトンタッチ」をしていく。この「バトンタッチ」を同業者は、「いろいろな雑菌がいて、雑菌が亜硝酸還元菌にやられて、乳酸菌は酵母菌にやられて」と言っているそうです。「やられて」が「バトンタッチ」で微生物たちはそれぞれが自分の出番になるとスッと出てきて、出番でもないのにでしゃばったりしない。そんな謙虚さも兼ね備えながら、自分にとって最も快いことを選択し、仕事を楽しんで、助け合いながら生き死にしている。そこは大きな共生の世界、仲よしの世界、感謝と報恩の世界だ、と言っています。

 

毎日の生活で、自分が楽しく快い仕事をひたすらし、ていねいにものを作り、人々に美味しいものを提供し、それを見ながら幸せに感じて生きている。そんな毎日の積み重ねの中で練られてゆく「精妙な意識」が「パワフルな意思」を培ってゆくのです。パワフルという意味は、精妙と同義語なのです。ボクシングで対戦相手をみごとノックアウトしたパワフルなパンチ、という際のパワフルとは全く違う種類のものです。柔らかく優しい力が真に強い力なのです。この強さが、打消しの大合奏を凌駕(りょうが)する力なのだということを実際に見せてくださっている人々がいらっしゃいます。寺田さんはそのひとりです。

 

2010/01/03

 



[]火落ちという現象を起こす「火落ち菌」はコウジカビが生成するメバロン酸(通称「火落ち酸」)を主食とすることが今日ではわかっている。火落ち菌は乳酸菌の一種で、日本酒に入り込むと濁りを生じ、酸化させ、また臭みを帯びさせる。6%ぐらいの濃度のアルコールが最適な生育環境だが、25%程度でも問題なく成育する。また日本酒のような弱酸性の環境を好む。まさに日本酒は火落ち菌にとって理想的な生活環境といえる。主な菌は、ラクトバチルス属Lactobacillus fructivoransL. hilgardiiL. paracaseiL. rhamnosusなど。

火落ち菌についての研究は、1906東京帝国大学高橋偵造によって開始され、ふつうの細菌用培地には育たないが日本酒を入れてやると生育する菌がいることを発見し真性火落菌と命名した。これは、日本酒の中だけに菌の生育に必須の成分が存在することを示していた。
その後、多くの微生物学者醸造学者によって更なる研究がなされたがなかなか進捗を見ず、ようやく1956になって、微生物定量法を採用した東京大学田村学造によって、この成分がメバロン酸であることが発見された。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア

 

[] 寺田啓佐著。発行2007年8月30日。河出書房新社発売