「合理」     字分け「精神」


 

字分け「精神」

 

2008年3月8日 午前9時52分        

 運転中「精進」ということを考えていたら、「精神」という2文字が頭に浮かんだ。その前日命波の講義中に「精進」とは、野菜を食べることなどではなくて、心を細かく砕いて、毎日を過ごすこと、という話をしていた。

 精進の精は細かいという意味、セイともツブサとも読む。ツブサに観察する。というと綿密に、細かい点まで見逃がすことなくそれに進む。毎日毎日倦まず弛まず、つまり飽きずにしかもサボらずに心を砕いて、細心の注意を持って、一心不乱に行うというのが精進ということになる。

 これをやっていくのは人間には非常に難しい。一時感激して大仕事するのはできても、毎日毎秒毎瞬、優しい思いやりをもって生けるもの全てを尊び、敬い、したがって濫用したり、収奪したり、傷つけたり、汚したりせずに生きるなどは出来るものではない。精進しているのは神さまくらいのもの。神は精妙なる命の本質という字がある。

精神
英語ではspirit(スピリット、すなわち命の本質)

 神とは精妙なるスピリットと読み解ける。

 「精神」を辞書で調べると、明鏡国語辞典では「思考や感情の働きをつかさどる心」 大辞林では、「人間のこころ。また、その知的な働き。物質に対し、人間を含む生命一般の原理とみなされた霊魂。たましい」とある。

 人間のこころは本来、精妙なスピリットである神と通じるようになっている。少なくとも人間の本質はそうなのだと文字が教えてくれた。その本質に沿った生命活動をしていくことが精進で、これは怠ることなくし続けないと油断大敵となる。油断すると、怪我をする、病気になる、など不都合が生じ、これは無視できないので、怠っていたことに気づかされ、また精進することを思い出す。これなら常に軌道修正がされているのでいいが、なかなかこれも難しい。精妙な波動の持ち主になるのは並大抵のことではないのだ。

 野菜を食べることだけが精進でないとしたら、他には具体的に何をしたらよいかというと。

 必要以上に貪らない。

 これが大事。「知足(足るを知る)」という言葉があるが、欲求不満の反対語だといえる。欲求不満は誰だって嫌だ。知足がいいに決まっている。必要以上に貪らないとエネルギーの節約ができる。地球の資源の収奪が減る。原発は要らないと思えるようになる。精進精進。


 冒頭にある字分けは、3月8日の3をミと読み「実」という字を当て、8をハチと読み、「波智」という字を当てた。9時の9をコと読み、これに「光」という字を当てた。同様に52には「意普負(普負とは普く負っているという意味の字で小田野早秧の作った文字)」さらに5と2を足した数7をシチと読み、「詞智」と当てた。

 智恵の波動(エネルギー)は全宇宙「普く負っている(普遍的に存在しているものという意味)」光のコトバ(意とはコトバのこと)。詞という智恵の充満している光の世界が宇宙の実体。このような思いを呼び起こされる日時に私に入ってきた文字が 「精進」と「精神」でした。

2008/03/17