「スランプ」  「ファントム・セルフ」

スランプ

 今年の夏にエッセイを書いてから半年。
 何か書きかけては途中でボツにして、月日ばかりが経っていく。本当に言いたいことが定まらないから書けないのだと分かる。以前書いたエッセイを読んで見ると、その時々に気づいたこと、考えたことをただ素直に書いていただけなのに気づく。その時にはそう思っていたから簡単に書けたのだ。今はそれがあまりないから書きかけても気に入らない。それでボツとなる。

 本当に言いたいことが何であるかが分かるのは「目が覚めてから」のことだと思っている。字分けはしているが、いま一つ深さや奥行きが足りない気がする。まだまだ「自分というものがあるという意識」が根深くあって、どんよりと曇った空のようである。快晴の青空のようには抜けない。

 「自分というものがある限り苦悩は決してなくならない」というバガヴァンの言葉だけが時々頭の中で響いている。いわゆる「エゴのからくり」と呼ばれている様々な心の動きを「舞台の上の役者の所作」を見るように見ているしかないと思ってそうしているが、一体いつまで続くことやら。トホホ。

 自分では書けないので、一昨年秋に「目が覚めた」知人の書いたものを紹介したい。

 作者はアメリカ生まれの日本人でノリオ・クシさん。タイトルは彼がエゴに付けた名称である、「ファントム・セルフ」にしておく。

本人に直接聞いたところでは、「目覚め」の兆候は2004年9月ハイウェイを運転中に始まったそう。突然コントロール不能なほど頭がグルグルし始め、運転できなくなった。どうなっているのか分からない、死ぬのかもしれないと思った。自分でどうにかするのは諦め、救急車で病院に行った。その数ヵ月後、やはり運転中に自分の思考が目の前を映画のシーンのように流れているのが見え、思考と思考の間に何もない間隙があるのにも気づいた。間隙を見つめていると、世界がひっくり返った。今まで有ると思っていたものが全部幻想だと分かった。自分という幻想にファントム・セルフと名づけた。

2005/12/30

静流

「ファントム・セルフ」へ続く