命波の先輩が書き始めた勉強用の教本に私も加筆させてもらって、一応たたき台のようなものを作っているところです。書き始めて気づいたことは、知らないこと、分からないことがいっぱいあったということです。今の所は二人で書いているのですが、互いに知らないことがあるのに随分と気づかされました。これにもう一人が加筆することになっていますが、その際にもきっと知らなかったことがいっぱいあるのに気がつくと思います。
「三人寄れば文殊の知恵」と言いますがまことにその通りですね。知らなかったことが何かに気づくと嬉しくてたまりません。自分が何を知らないかを知らないのが究極の無知だと思います。自分が無知で何も知らないも同然だと自覚している人は究極の無知ではないのではないかと愚考しております。そして少しでも気づいて学んでいくためには他の人の知恵が加わることが必要なのです。そのためには各自が他の人に自分の考えを伝えなければなりません。
でも言葉使いって難しいですね。私には自分が新たに発見した考えをこうしてエッセイにして、他の人に読んでもらいたいという欲求があり、伝える為には出来うる限り正確に、誤解の生じないようにと気をつけながら文章を書こうと努力していますが、一体どれほど言いたいことが相手に伝わっているのかは分かりません。文章にして発表しても読者のそれぞれの理解度はその人のこれまでの人生体験によって大きく異なると思います。まるっきり言いたいことと違うフィードバックが読者から来るとそれに気づきます。まして話し言葉はその場で消えてしまいますのでますます確認は難しいでしょう。喧嘩や仲たがいの多くは誤解曲解が原因で、双方悪意はなかったということがままあると思います。
今年の新年の挨拶に言葉に責任を持ちましょうと書きましたが、どうもそれが私にとって今年のテーマのようです。テレビをつけても雑誌を開いても、人にもらった本を読んでも、Eメールを開いても言葉をテーマにしたほかの人の考えに突き当たります。それとも今年は言葉がテーマという世相になっているのでしょうか。
さて、言葉使いというコミュニケーションの手段に熟達していく為に役立つステップが幾つかあるので私なりにまとめてみました。
友好的な間柄で利害の関係してない話の場合はお好きなように。お菓子を食べながら、お酒を飲みながらわいわいと楽しくやってください。
問題は言い難い話をする場合です。