うっかり       カナズチと風船

カナヅチと風船

 もう十年も以前にダイビングを教えてくれた友人から今朝久しぶりに電話があり、その後ダイビングは続けているのかと聞かれました。生来ズボラなうえ運動神経が鈍いので体を使うのが苦手な私ですから一人でほっとかれたらそんなことするわけもありません。毎日何かの運動をしているうえにヨガの教師でもある友人には理解できないことでしょう。

 それはさておき、そのダイビングに関して思い出したことがあります。練習用のプールのジャンプ台に立たされて友人に励まされて初めて飛び込んだのです。水深4メートルほどのプールの底を目がけて出来るだけ体を垂直にして飛び込もうとしました。結果は体が斜めになってしまい、すぐにプッカリ浮いてきてしまいました。

 今度は底に止め付けてある鉄の環を目指して飛び込み、その環につかまって出来るだけ長く沈んでいるようにと指示されました。二度、三度と飛び込んではみましたがどうしても底に行き着く前に浮き上がってしまうのです。

 「君、ガスで出来てるの?」とその友人にからかわれました。何度目かのトライでようやく鉄環に手が届きましたので、しっかりとつかまりました。ところが何とその環を止め付けてあった金具が私の浮力で外れてしまい、再び、今度は手に鉄環を持ったままで浮き上がってきてしまいました。

 「ホントに風船みたいな人だ」と大笑いされました。

 泳げない人のことを俗に「カナヅチ」と言いますが、この様な人は水中で浮かんでいることが出来ないのでそう言うのでしょう。では泳げないカナヅチと私のような風船とはどう違うのでしょう?別に私は体の中にガスが詰まっているわけではありません。

 読者にもとっくにお分かりでしょうが、泳げない人は頭を水の上に出そうとあがくから反対に体が沈むのです。私だって頭を水の上に出しておこうとしたら体が沈んで泳ぎにくくなってしまいます。鉄環が外れるほどの浮力があるのは頭から水に飛び込んだからです。

 「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」ということばがあります。全身を水に委ねて、浮こうが沈もうが気にもとめなかったら浮いていること請け合いです。

 同じことが生きる姿勢にも言えると思います。助かろう助かろう(頭を水の上に出していよう)ともがいたりあがいたりするとかえって沈んでしまうのではないかと思います。こういう状態をパニックと言います。パニックになったらもうしょうがない、エイヤッと両手を離して運を天に任せてしまうことです。別に肉体の両手を上に挙げろと言っているわけではないですよ、念のため。そうではなくて精神的にあがくのを止めてしまおうという意味です。つまり「身を捨てて」、それから心が静まるのを待つと、智慧が動き始め、何をどうすべきかが見えてくる、つまり「浮かぶ瀬」が見えてくるので、そこにまで行けば這い上がれるというわけです。

 な〜んだ、くだらない。当たり前だろ、とお思いでしょうが、いざパニック状態になったらなかなかそうは行きませんですよ。ハイ。

 ですからどうぞあなたの頭の中にプールの底の鉄環を持ってポッカリ浮いている私の絵をインプットしておいてください。そしていざという時にその絵を思い出し、「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」とブツブツ唱えてみてください。

 もしかして起死回生の策が閃いたりするかも。

2004/01/31