「軌道修正」   「愚考」


愚考

 小田野先生が他界されてから一年半になります。現在の私の日常の行動の規範は先生の教えが中心となっているようです。疑問が湧くと頭に先生の顔を思い浮かべます。するとまるで先生が話をされているかのように答やアイデアが聞こえてくるのです。

 予想していたのとは逆に、私が何をしてもとがめるような口調が聞こえたことはありません。とがめている場合は自分の声で、先生の声の方は肯定的な思想のみです。叱咤激励的な声も聞こえません。私の自由裁量で生きろと言われているのだと解釈しています。でもアイデアだけ戴きなんて、いいのかしらね、それで。悪いったって聞こえてきちゃうものは仕方ないけれど。別に頭が変になった兆候ではないですよ。と、思います。

 怖くて自分からは先生の顔を思い浮かべることができない時もあります。反省モードになっている時です。でもじきに先生の明るくひょうきんなお顔が出てきて、「いいのよ。どうせバカな人間商売やってる最中なんだから」とおっしゃっているようで、長い間落ち込むことはありません。ありがたいことで、本当。

 思い返せば生前も常に肯定的な話し方をされる方でした。人間の弱さや愚かさを直視し、そのまんま受け入れておられた姿勢の裏には、人間が生まれてきたのは自己の愚かさを認識するためで、失敗しない人生なら生まれて来る必要もないというお考えがあったと思います。歴史上のいかなる賢人、偉人に関しても決して崇め奉るようなことはされませんでした。「完璧な人間など一人だっていやしないのよ。今までだって今だってね。宇宙の進化は完了していないんですから」とも言っておられました。

 みなさまもこの意味を深く噛み締めてみてくださいね。

 これに関して思い起こすことがあります。英国のある非常に霊感の鋭い女性の話です。その女性は輪廻転生の過去生が自然に人の上に重なって見えるという才能を頂いて生まれて来た人です。その人の言うには誰も無駄に生まれて来た人はいない。必ず何らかの目的を持って生まれて来たのだ。そしてその都度善人や悪人や勇者や臆病者や金持ちや泥棒など多種多様な人生を送ってはそれぞれの人生ならではの失敗をし、そこから学んでいくのだと。さらに、その中で人は少しづつ前の人生より多くの経験を積み増していくのだが、転生を続けている限りはまだまだ学び足りない未完成な存在なのだと。どの人も過去生全部を勘定にいれて見るところ、絶対的に良い人も悪い人も賢い人もいない。それから、ほとんどの人間が過去生を思い出せないようにされて生まれてくるのは、過去の失敗によって打ちのめされないようにされているのだそうです。

 つまり、今生はやることなすこと全部裏目に出るという反省モードの人とか何をしてももうかっちゃう金持ちでわがままモードの人とか、体が不自由で人一倍過酷な人生にチャレンジしている一気に倍速体験モードの人とかがいるので、それらは各自が持って来たこの生でのテーマなのだということになります。ですから、人間は元来罪深いものだなんていう原罪とかを考えて罪悪感でいっぱいになって生きなくても良いのです。今回は今回でめいっぱい楽しみ、できるだけ多くの体験をしていけば良いのだと思います。消極的になると体験量が減りますよ。

2003/06/04

注。この英国女性はSoozi Holbecheという人で、多数の著作がありますがまだ邦訳はされていないようです。彼女の話を私のホームページでしても良いとの許可を頂いてありますので、又他の機会にお話ししますね。