「人それぞれ」   「蓮の花を咲かせましょう」


人それぞれ

こいう人がいます。

Aさん:

お寺に来ると挨拶してすぐ外に出て行き家の周りを一周し、何かすることがないが調べます。それから道具を借り仕事を始めます。庭掃除、破損個所の補修、畑の手入れなど、することはたくさんあります。家に入っても同様にすることを見つけてやります。何も頼んでいないのにです。その人が廊下を拭くとあと三日は足の裏がざらつかないほど気をいれて拭きます。何をするのも所作が丁寧です。使った道具もピカピカに掃除します。食事の後は食器を洗いますがお皿を割ったことがありません。

Bさん:

Aさんと違い大工や畑仕事の技術はありませんが、掃除も食器洗いもします。掃除は徹底的です。ある時ふと見たらトイレの便器の裏側の狭いところを腕を伸ばして拭いていました。照明器具の傘の上や障子の桟や長押も拭きます。この人も食器を割ったことがありません。

 どちらも穏やかな表情をしていますし、笑顔の多い人です。幸せだからだと思います。実はその背景には辛い厳しい生活事情があるのを私は知っています。それでもなおかつ幸せなのです。



またこういう人がいます。


Cさん:

お寺に泊まった翌朝自分の使ったシーツと枕カバーを洗ってくださいと言ったら、「洗濯機はどこですか」と尋ねます。洗濯機はないので手洗いしてください、一回しか使っていないのだからそんなにゴシゴシ洗わなくても大丈夫ですと言いました。その女性はたらいに水を張って洗濯物を漬け、二三回ゆるくもんですぐに絞ってしまいました。要するに水で濡らしただけです。絞りも力を入れないので物干し竿の下が水浸しになっていました。放っておくと繊維に菌が繁殖してくさくなるので私が絞り直しました。 こういう人はどんな掃除をするか興味があったので廊下の一部(ほんの一部ですよ)を拭いてくれと頼みました。雑巾をゆるく絞って(水浸しだと拭きやすい)拭きながらため息をついているのです。嫌でたまらないのでしょう。拭いた後は水あとが縞になっていて拭いてない所がすぐ分かりました。その人は二度とお寺に来ませんでした。全く笑顔のない人でした。会社での人間関係がうまくいっていないのが悩みで太母さんに会いに来た人です。

Dさん:

お寺に何人もの人が寝泊りしていた頃のことです。掃除が得意な人は掃除、料理が得意な人は料理と自発的に作業分担をして円滑に運んでいました。そこにある人が来て一週間ほどの予定で滞在しました。朝掃除の時間には仏間で瞑想をしていました。食事の支度の前には黙って散歩に出て行きます。丁度食事の始まった頃に戻ってきて席につきます。終わると皆一斉に食器を台所に運ぶのですが、彼は最後に立ち上がって食器を運びます。その頃にはすでに洗い係り、拭き係り、片付け係りが決まっています。それでやることもないので(?)彼は食堂から一番遠い座敷の南側の廊下に座って庭を鑑賞します。   今日はそうだったが、明日は自分の番だから手伝おうと思っているのかもしれないと思い黙っていました。でも翌日も、翌々日も同じパターンで行動しているのを見て腹をたてた私は、どうして他の人が働いている時に何もせずにいるのかと聞いたところ。「私は過去生でエジプトの王だった身分の者で、そういう作業をもうしなくて良い人間なのだ」と言うのです。ちなみに私の目には王の威厳も品格も覇気も人間的魅力も全く無いと見える人でした。人々に愛と宇宙の真理を教える立場にある人でした。

 先日ある人に愛の無い人とは一言でどういう人かと聞いたところ、 「働くと損をすると思っている人」と答えました。うまいこと言うなあ。


 ここまで読んで、自分はCさんかDさんみたいと落ち込んだ人。元気を出して。あなたもAさんBさんになる途上にいるのですから。そしてAさんBさんにはまたその上があるのです。道は遠いかもしれないけれど登らなければ頂上には行けないわけで。

2003/04/03