2003年 あけましておめでとうございます。     遊びの達人


遊びの達人

私には子供のような大人の友達が多い。
自分とは全然似ていない人たちだ。
何で友達なのか考えてみた。
どうもそういう人が好きだからのようである。

「子供のように」という意味は具体的には純粋に手放しに喜びが表現できるということ。全く周囲のことなどお構いなしで「わ〜い わ〜い」と飛び跳ねたり、顔中が笑顔になっている。体中躍動しているような感じである。 実にうらやましい。
そんなこと簡単じゃないかと思う人もあるかもしれないが、そう出来ない人には出来ないのである。

 ある夜半、寝室の戸をコッソリ開ける音がしたので見ると薄暗がりの中に母が立っていて、頭だけ部屋の中につっこんでいる。
「なあに?」と聞くと、ちょっと恥ずかしそうな顔でおずおずと、
「一緒に寝てもいい?」と。
 「どうぞ」とふとんの半分を空けると、大喜びでもぐりこんできて、それからず〜っとおしゃべり。私は日中用事がたくさんあるので眠らなければならないと思っているのに母はお構いなし。そのうち眠ってしまったが、私のほうは寝そびれてしまい、とうとう夜が明けてしまった。そうしたい時にすぐさまそうして、満足したら安らかに眠ってしまえるのが子供なのだろう。私は子供心をあまり持っていないらしく、「明日は何々しなければならないので、眠っておかなければならない」と考えてしまうので、頭が休まらず眠れなくなるのだ。

 またある時、オーストラリアの田舎の(この国はほとんどどこも田舎だが)川に行った。実に暑い日で水が冷たく気持ち良さそうに誘っていた。母は着物をさっさと脱いでメリヤスの腰巻姿になり、川に入って行った。勿論上半身は裸である。川の浅い所でばちゃばちゃ水音をたてて遊んでいる。
 と、上流からゴムボートに乗ったラフティングのクルー数人が下ってきた。救命具を着てオールで巧みにボートを操りながら急流を乗り切っている。母は浅瀬の真中で突然立ち上がり手を腰に当てて胸を張って(裸だったのを忘れないで)乗員を見物し始めた。(八十歳の)老女が裸で川の中に立っているのを見た人たちはアットいう顔になり、その拍子にボートは見事にひっくり返ってしまった。急流を流れていく人たちをそのままの姿勢で見送ってから、何事もなかったかのようにまた水の中にしゃがんでばちゃばちゃ始めた。済んだことはすぐに念頭を去ってしまうのだ。水遊びに余念のない母を見ながらその境地に達することのできない自分を仕方なく見ているしかなかった。

2003/01/02