「ひとつの愛」 「必死は必至」


ひとつの愛

 「そんなに寝ていてよう目がとろけんこっちゃ(とろけないものだ)。はいおめざ」
子供の頃、祖母がそう言う声で目が覚めたことが何度もあった。眠い目をこすっている間に身のこなしの素早い祖母はもう階段を降りかけている。

 「おはよう。おばあちゃん」もごもご言ってから枕もとを見ると、いつもの小盆の上に飲み物や果物が乗っている。めざましの水分というわけだ。ふとんの中で腹ばいになって食べてしまうのが常だった。宵っ張りの朝寝坊の癖はいまだに続いている。そういう私を家族は決して非難しなかったものだ。仕合せだったと言わねばなるまい。但し、そのことに気づいた頃祖母はもうとっくに他界していた。

 最近になって今度は母が他界した。私が何をしても決して咎めたり冷たい目をしたことのない人だった。亡くなる前にその価値に気づくことができたのは実に幸運だったと思う。数年間毎日一緒の生活ができ、母を堪能できたのだ。

 母はさておき祖母の話に戻る。非常に速いのは身のこなしだけでなく、頭の回転も速い人だった。こんな話がある。

 ある時家の一部を補修する必要が生じ、家人が出入りの誰かにその手配を頼んだところ、建築業を営む知人が二人来て、家で鉢合わせしてしまった。どちらも自分がその仕事を引き受けると言いつのって引かない。町奴とか、鳶とか喧嘩っ早い連中だったので、その場の気配は一触即発になっていたそうだ。母はどちらの方も持つことができずに困っている。
  「ちょっと、あんたさん方、そこの天井を舐めてみっしゃれ(みなさい)。」いきなり祖母が気色ばんでいる二人の男に言った。
  「?」二人はすっかり喧嘩腰になっていたのも忘れ、きょとんとしている。ちょっと片目を細めて、いたずらっぽい顔の祖母が、「ちょっと伸び上がれば天井でも舐められそうなこんなちっぽけな家の、それもほんのちょこっとの修理に大の男が二人で何をさわいどるのじゃ。いい考えがある。あんたら、ほれゴールインというの知っとられるじゃろ?(二人とも博打好きでもあった)あれで決めたらどうじゃろ。二人のうち首ひとつでも鼻の頭でも先に着いたもんの仕事ちゅうことにしたら。」

 それで丸く収まったことは言うまでもない。誰も恥をかかず、恨みも抱かないように紛糾を収めるのが上手い人だったと言う。智恵とは愛から発しているものだとよく母が言っていたのを思い出す。朝四時に起床し、畑で作物を作り、洗濯と掃除をすませた頃に家人が起きてくると、すでに茶の湯が沸き、草もちや団子が出来ている。いつも最後に残った食物を少量食べ、おいしい物はそっと包んでしまっておく。それが孫のおめざになったりする。一日中ほとんど休まずに働きづめで、座っている時には着物を縫ったり繕い物をしていた。端布は孫の姉さん人形やお手玉に化けた。必要な仕事が終わるとしっかりそれが楽しみのタバコを煙管につめて一服するし、謡いや三味線を習いに出かけもした。

 祖母が座っている部屋に行くと、目を細めて手招きする。長火鉢の引き出しからお菓子を取り出し、片目をつぶって「誰にも言われんぞ(言ったらだめよ)」と手の上に乗せてくれたものだ。特別扱いしてもらっている上に祖母と共通の秘密が持てた密かな歓びが子供心に焼き付いて、それが一生、人の愛というものに対する信頼の基盤になっていると思う。

祖母のうた
法悦讃(ほうえつさん)


みほとけの 大慈大悲に 恵まれて
心は浄土に 遊ぶうれしさ
釈迦はゆけ 弥陀はこいとの よび声に
聞き得し心 如来なりけり


一念に迷いの綱は 切れにけり
何処もおなじ 弥陀の国かな
身は此処に 心は弥陀の 極楽に
仏とともに 生きるうれしさ

2002/01/16 菊池静流