「心のツインタワー逝く」 「さようなら 小田野先生」


心のツインタワー逝く

さようなら 太母さん

 11月19日の朝、命波の生徒の一人から突然電話で、小田野先生の看病も大事だが、静流さんにとっては太母さんがお母さまなのですよ。小田野先生のお世話はご家族がされるでしょう。よろしければお手伝いにこれからそちらに伺います、と云う様な内容のことを言われました。命の勉強の恩師である小田野早秧先生が斃れられ、意識不明になられたのが9日で、私も看病のはしくれに加えていただいていたのでした。数日前から食事が進まなくなった母がいるというのに気づかなかった自分にハッとして、その日は小田野先生宅にお届ものだけして、すぐに取って返しました。

 夕食後、この数年来母を主に看護してくれていた従姉妹の敏子さんと私がいつものように母のベッド脇でおしゃべりしていると、突然様子が変になったのに気づきました。呼吸も苦しそうなので救急車で病院に運びました。検査が済む頃には笑顔になったので、そのまま自宅に連れ帰り、その夜は母を抱いて一晩過ごしました。時々呼吸が苦しそうになるのを、体位を変えることで調整し続けました。肉体の生命が尽きかけているのをひしひしと感じました。不思議に涙はあまり出ず、ただしっかりしていなければいけないとばかり自分に言い聞かせていました。

 翌朝は訪問看護の定期検診日でしたので、診ていただき、医師からもう何も食べさせたり、飲ませたりしないようにと注意を受け、いよいよ最後の時がきたのだと悟りました。数人の近しい方々にお知らせしたところ、あっという間に集まって来られ、驚きました。前の晩は睡眠をほとんどとらなかったのを察した方々に勧められて自室で寝ませてもらいましたが、翌朝7時頃に階下で呼ぶ声に急ぎ母の部屋に駆けつけました。母のベッド脇に詰めていた方たちが既にベッドを囲んで座っておられました。総勢10人が見守る中で、苦しむ様子もなく、声もたてずに静かに息が絶えた後は安らかな顔でした。まるで眠っているように、わずかに口元に笑みが浮かんでいました。
 93歳でした。


2001/12/05 静流