あなたとときを同じくして、ねっとカウンセリングに、母親を亡くして途方にくれているという30代の女性二人から、それぞれ「肉親の死」にかかわる相談がありました。そこで今回は、「愛する人の死別から何を学べばいいのか」ということをテーマにして考えてみたいと思います。
愛する家族を亡くす衝撃。これは誰もが経験しなくてはならない大変つらい体験の一つです。しかも、時代と人種を越えて、私たち人間が共通して味わってきた深い悲しみです。だからこそ、そこには大きな意味が秘められていると思うのです。
私は、肉体の死は目に見える形の変化であって、その人の【本質=魂】の終わりではないと考えています。その人が、肉体を離れて魂それ自体に還ることが肉体の死で、魂自体に終わりはありません。終わりも形も時間もない無限の実在。それこそが私たちの本質です。それは「愛そのもの」と表現してもいいでしょう。
もし、私たちがそういう存在ならば、何のために肉体を伴って生まれるのかということになりますね。それは、肉体という自我をしたがえたまま、「愛そのもの」に還るためだと思います。
私たちは、深い部分では自分が何者かを思い出そうと、ありとあらゆる感情を味わうという体験を通して、最終的に本来の愛に目覚めていく。これが、宇宙の進化として営まれているような気がするのです。
魂同士は、そうした人間の営みに惜しみない協力をし合う約束で、個別で有限の肉体を持ちます。ただ私たちは、それらの記憶をあえて閉ざして生まれ、深い気づきによって「自分は何者か」ということを思い出していきます。
そうした魂が肉体を離れるときは、魂がその"とき"を決めていると思います。たとえどんな状況であっても、「悲惨な」とか「志半ばで」とか「まだ若いのに」というのは、何も知らない人間の意識が、勝手に決めつけて憂う感情的な価値観です。
残される側の人間にとって、もしくは死を迎える本人にとって、そのことを受け入れ乗り越えていく体験が必要不可欠であれば、魂が自らときと方法を選んで肉体を離れ帰還します。人類が愛に目覚めるために貢献し合うということが、魂の目的なのですから。
そう考えていくと、テロや戦争による犠牲者も、死刑囚も、病死も自殺も、その意味において同じように魂の願いが込められた帰還のドラマです。もちろん、生命を絶たれる立場の自我意識が、そのときそこで死ぬことを受け入れているかどうかわかりませんが、魂レベルでは承知しているということです。
ですから、亡くなる時期や状況について残った者が嘆き苦しむことは、魂の意図ではありません。私たちには、もちろん生身の体と感情がありますから、大いに悲しんで泣くのは当然で、またそれは必要なことがらです。でも、その感情を味わい尽くしたら、あとはこのドラマに秘められた魂のメッセージに耳を傾けてください。
肉親を悲しませるために、その死が用意されたのではありません。死別をきちんと受け入れ気持ちを整理することで、自分の奥深くにある大切なものに気づくことが何より大切です。許し、感謝し、敬い、慈しむ…そうした深い愛に目覚めましょう。
誰もが生まれたときから唯一決まっている"死ぬこと"から目をそむけないで、深遠なる魂の願いを知るとき、それはどう生きていくかを考える好機になります。それが、去りゆく者が残される者に最期に与える愛なのです。