あなたは、自分が自分のことを思いっきりほめるということがありますか?
しかも、声に出してです。あるいは、鏡の前でにっこりとやさしく微笑んで。
恋人がいようがいまいが関係なく、「自分のことを何でも認めてほめること」を実践できればだいじょうぶです。それが自愛の心です。では、その理由を説明していきましょう。
人は誰でも、根源的に「他から承認されたい」という欲求をもっています。実はそれが、人とかかわっている大きな理由でもあるんですね。別の言い方をすれば、「自分の存在価値を実感したい」のです。なぜなら、それが「生きがい」となって、私たちの気持ちを前向きに支えてくれるからです。
それぞれの人の夢も、なぜ追いかけたいのかという感情のもとをたどっていけば、自己実現の根本にこれらの承認欲求があるのがわかります。それにプラス金銭欲というのが、一般的には行動の動機になっています。
例えば、幼児が親にいかにいい子だったかを懸命に報告する場面を思い浮かべてみてください。また、若者がボランティア活動や仕事に精を出す理由を想像してみてください。さらに、お年寄りが孫の面倒を見ることで張り合いができて急にしゃきっとなったという話もよく耳にしますね。
つまり、「自分の存在価値を、他から承認されることで味わいたい」といういのは、私たちの本能なんです。だから、その感情が恋人に甘えとして出るのは当たり前。ただしあなたの問題は、その役目を常に恋人にだけ押しつけて気がつかないところにあるようです。
あなたがどれほど深く誰かを愛しても、その人の代わりにご飯を食べることもお手洗いで用を足すこともできません。自身を活かすということすべてがそうです。代わりがつとまるのは、働いてお金を得るといった2次的な目的に限りますよね。
これと一緒なんです。自分でするしかない、またそうしなければ意味をなさないことを、あなたは恋人に期待し続けるから、いつまでも満たされなくて苦しいのです。
どうしてそうなったかというと、人を好きになると、無意識のうちに自己投影《恋人=自分》にしてしまうからです。でも恋人は、あなたの2次的な目的である「賞賛」はあげることができても、あなたの精神を満たし続けるエネルギーそのものにはなれません。
あなたの人生を車に例えれば、運転席にあなたがいてエンジンはあなたの心です。恋人はあなたの人生のある期間、助手席にすわる人です。ナビゲートを頼むことはできても、あなた自身がエンジンをかけなければ前には進めません。彼ができることは、たいへんなときに車を押すことと運転手にエールを送ることだけです。
恋人が運転してくれないと不満を抱くことは、たいへんな考え違いだったとわかりましたか? さあ、あなたの中の「自分はダメだ」という思い込みを横に置いて、恋人がいるときもいないときも、今日から自分が運転して目的地を目指すことに集中しましょう。
まずは冒頭に書いた方法で、「徹底的に自分が自分をほめる」ことをしばらく続けてみてください。それによって内側からわいてくるエネルギーを感じましょう。それが、あなたのエンジンを発動させて自立に導くパワーです。いつでもあなたが自由に使える力です。そのうち、誰かにゆだねて生きようなんて考えられなくなりますよ。