Vol.9

「責任VS責任感」

Vol.9「責任VS責任感」

〜1999 Seven's Month〜

 

 先日、私がいつものように家で瞑想をしていたときです。突然込み上げてくるものがあって嗚咽が始まりました。それは叫びにも似たしぼりだすような声で息苦しいくらいでした。

 『なぜ泣き出したの?どうなっちゃうんだろう…』と心の片隅に一抹の不安を残したまま、私はあふれ出る感情の波に身を任せていました。

 精神衛生上、出たがっている感情を抑圧するのはもってのほかで、出し切ったところに次のステップが用意されていることを、私は仕事がら知り尽くしていました。

 感情はエネルギーですから、味わい尽くすと形が変わってしまうのですね。嬉しいことや感激した感情がすぐに色あせていくのは、喜んでそこに浸り切って味わい尽くしてしまうからのようです。

 それに引き換え、嫌なことや哀しいことを意に反してだらだらとしつこく引きずってしまうのは、味わい尽くすのを避けて通ろうとしたり、見て見ぬ振りをするためです。

 私が「そのことを越えたいと思ったら、逃げないでその感情(自分)と向き合ってください」とよく言うのは、こうした理由からです。

 さて、その瞑想の続きですが、かなり長い時間泣きじゃくったあげく感情が治まると、私は自分に何が起きたのか、目を閉じたまま自分の内側に尋ねてみました。

 そして、―私の奥深くに封印され、押し込まれたままになっていた何世代もの人生の苦しみや悲しみが吹き出して、エネルギーが入れ替わろうとしている―ということを知ったのです。

 1999年の7の月、大きなエネルギーのうねりが惑星レベルで生じたようです。この変化の波は、当然地球にも一人ひとりの人生にも影響を与えます。

 一言でいえば、ネガティブな状態に追し込められていたエネルギーが、そのままを維持できなくなって、振り子が戻るように変化を起こし始めているのです。

 これは、無意識を含めて起きていますから、これまで何とか蓋をして、カモフラージュしてきた人々の感情をも動かします。その結果、一緒にいた人と別れたり、仕事を止めたりすることになるかもしれません。

 よかれと思って、あるいは怖くてごまかしてきたものが、もはやごまかしきれなくなり、上辺だけのものはどんどん壊れていくという現象が、すでに社会全体で起きています。

 だから、あなたの身辺にびっくりするような事象が訪れても、どうか恐れないでください。そして、決して逃げないで正直な気持ちで対処する勇気を持っていてくださいね。

 一見悲惨に思えるそれらの出来事は、産みの苦しみのようなもの。もっと自由に心地よく生きるために必要だから、気づくときが訪れたから起きたのです。

 個人の自己解放は、社会の解放につながります。私たちは、がんじがらめになっていた不本意な鎖を解いて、ようやく自由を手に新しい時代を築こうとしています。まず心が自由にならなければ、今までと違う行動は起こせませんよね。

 この自由は、愛と責任の上に成り立つものです。これからは"責任を取りながら生きる"覚悟が必要ですが、"責任感で生きる"と前者の違いがおわかりですか?

 あくまでもここでの言葉の定義ですが、前者は、自由に生きる上で不可欠な心構えです。自分の選択した行動に責任を取り、その結果生じることを、誰のせいにもしないですべて引き受けて生きること。

 一方責任感で生きるのは、他人や世間の期待する責任を果たしながら生きること。

 当然その両者が重なれば問題はありませんが、自分を殺して世間体を取る生き方には、これからは価値が見い出せなくなるでしょう。それは、その方が都合のいい人たちが、信じ込ませ染み込ませてきた社会通念に過ぎないからです。

 その時代はもう終わりを告げ、私たち全員が変化せざるを得ないところにきています。

 さあ、あなたも責任感で着させられた重いヨロイを脱ぎ捨て、新たな波に乗って自由を謳歌して生きませんか?

 



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