Vol.5

「私のちょっといいこと」


 

 20代のとき、“乗り物の中でお年寄りには席を代わるべきだ。変わる私は美しい。賞賛に値する”と思って実行していました。ある日、おじいさんに席を譲ろうとしたら、「私は、まだそんな歳ではありません」と公衆の面前で拒否されてしまったのです。

 今なら、「まあ、ステキですね」と笑って応えるのですが、当時の私はとても傷つきました。なぜでしょうか? 私の想いがとっても恩着せがましいものだったし、評価のための行為だったからでしょうね。

 30代になって、ガンガン仕事をしていた私はいつも疲れていました。にもかかわらず、親子三代で乗ってきたおばあさんに席を譲ったら、小学生とおぼしき孫がサッと座ったのです。おばあさんは丁寧にお礼を述べて立ったまま…私は完全にムカツキながら報われない想いで大不満でした。

 それから、私は座ると寝たふりをするようになりました。そのくせ、「まだ、あのお年寄りは立ってるのかなあ」と気になっては薄目を開けてストレスにしていたのですから、今思えば、なんて不健康なことをしていたものかと呆れます。

 大切なのは、おばあさんがどうするかではなくて、私がどうするかだけなのに、その頃は、“もうバカバカしい、偽善者ぶるのはやめた”と自分の行為を正当化していたのです。

 40代にさしかかって意識がすっかり変わった私は、何も考えないで席を代わるようになりました。それしか選択肢がなくなってしまったのです。だから、お礼を言われても言われなくても気にならないし、損をしたとも良いことをしたとも思いません。

 あえて席を代わる理由を思い起こせば、お年寄りに対して、ご苦労様という感情がこみあげるから。自分が発する好意やエネルギーが自分の将来を作ると知っているから。ようするに、自分がしたいから、自分にとって自然だからというだけです。

 私たちは、「損得」や「〜すべき」という概念で自分の行動を決めるように育てられた部分がありますよね。私は、それが苦悩を作り出していることに気づいたとき、同じ行為をするにしても、まず心の中を変えようと決意しました。

 「私は、自分の言動に伴うエネルギーを宇宙銀行に貯金しているんだ。だから、相手からの損も考えなければ見返りも探さなくていいんだ」と思いました。宇宙銀行は、自分が困ったときに引き出せるプラスエネルギーの預金をさせてくれるところです。

 そうなると、断然行為は好意がいいし、すべてが自分のためになるとわかってきたのです。試練があっても、「う〜ん、大口預金のチャンス到来か…」と思ってプラスのエネルギーを発動します。それからは、結論を出すのに迷わなくて済むようになり、いつしかそのことも忘れていました。

 新しい自分があるがままの私になった頃、とっても嬉しい「ちょっといいこと」がありました。

 席を代わったときに、おばあさんが天使のような微笑を返してくれたのです。胸の中が熱くなるほど“言葉にならないもの”が伝わってきました。その上、おばあさんは降りるときに、ドアのところに立っていた私に近づいてきて、再びにっこり微笑んだのです。

 思わず、私もめいっぱいの微笑みを返していました。知らない人が見たら、きっと親し気な関係に見えたことでしょうね。

 私は、感動というギフトを貰ったのです。しかも、その日だけじゃない、こうして思い出すだけで幸福感がよみがえってくるのですから、すごく得した気分。

 人は心を込めた微笑みだけで、こんなに人を感動させるギフトを渡せるんだって、おばあさんに教えてもらっちゃった。

 



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