Vol.3

「私が花だったら…」

 私は、家の近くをよく散歩します。幸い歩いていける範囲に海も林もあって、散歩にはもってこいなのです。

 春先には、名も知らない小さな花をたくさん見かけます。野の花は、太陽に向かってひたむきに咲くことの美しさを伝えています。その可憐な様子に、思わず足を止めて見入ってしまいますが、その度に、自分の人生を振り返って多くのことを教えられます。

 もし、私が花だったら、人目につかないところに咲いていてはつまらないと思っていました。フラワーショップのウィンドウケースの中に入っている高価な花になりたいと思っていました。その方が、いちもく置かれて、はるかに価値があってかっこよく見えていたのです。

 だから、野に咲く花を小ばかにしていましたし、そんな境遇に同情さえしていました。でもその反面、不安と自己嫌悪を抱えながら、孤独を憎んで生きていました。

 今思えば、何という傲慢さで勘違いをしていたものでしょう。生命の尊さから見れば、同じ花としての価値に全く変わりはないし、そんな比較のために姿や環境が違うわけではないのに…

 人知れず咲いて、名も残さず土に返っていく――。

 今は、そんな野の花のような生き方にあこがれているのですから、私も随分変わったものだと思います。

 私たちは、生きる価値について、あまりにも間違った情報を背負い込んでしまったようです。そのあげく、競争にも批評にも疲れ果て、体までぼろぼろになって…

 社会的には成功して世間体もまずまずなのに、少しも幸せを感じられなかったり、生きる意味を見出せなくなってしまったり…

 それを、いくら文化のせいにしても教育方針を責めてみても、不幸感は何も変わってくれません。そのことに気づいた人から、自己変革して自らの価値観を選択し直す以外には、自分に自由を与えることも、生き方を変えることもできないようです。

 私が、ウィンドウに飾られる花を目指して、そのための戦いと服従に疲れ果てながら学んだことは、人生に必要のないものが何で、本当に必要なものは何だったかということでした。

 それはまた、決して私の個人的な願望にとどまらないことも知ったのです。

 それぞれの人生は異なっても、深いところでつながっている私たちという存在の祈りにも似た願い…ひとりひとりが自分を愛し、自分の人生を生き切ることだと感じました。

 幸福に向かって変わっていける私たちは素晴らしい。あなたは、あなたという花をただ咲かせれば美しい…それを伝えたいのです。

                           
                          ―つづく―


 



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