Vol.13

「死ねる幸い」

Vol.13「死ねる幸い」

 

 お金があろうがなかろうが、文句をいっぱい言いながら生きようが感謝して生きようが、私たちに共通して与えられているギフトは、何だと思いますか? それは、いつか死ねるということです。

 もし、「このままあなたは、あと500年生きます」と宣言されたら、どんな気持ちになりますか? あるいは「今日から、私たちのいのち生命は永遠になりました」ということになったら、あなたの人生に対する考え方はすっかり変わってしまうのではないでしょうか…。

 私は、これを尋ねられたとき、『それはしんどいかも…現状で十分です。いかに生きながらえるかより、いかに生きるかという質の問題で勝負してますから…』と笑って応えたのを覚えています。

 このとき改めて、あと何年と限られている生命だからこそ、生きていることの素晴らしさや価値を感じられる…と思ったものです。与えられた貴重な時間を思えば思うほど、今ここでやる気も湧いてくるのではないでしょうか?

 でも、現実を見ると、この限られた"生命のとき"に対しての人々の反応は実にさまざまですね。

 私には価値ある生命が与えられている…と受け取って、その限られた時間を感謝して生きる人。チャレンジして生きる人。何かに尽力して生きようとする人。

 人より長く生きながらえたい、私の人生はいつ終わってしまうのだろう…と"生命のとき"をほとんど心配することに使ってしまう人。寿命が尽きることをやたらと恐れて延長することに悪戦苦闘してしまう人。

 どうせいつか死んでしまうんだから…と投げやりになって、人生をつまらないと感じることに費やし続ける人。幸福が近寄っても、つかみ取ろうとしないでやり過ごしてしまう人。

 さて、これまであなたはどんな感情と共に生きてきましたか?

 私たちがいつか一人一人生まれて、唯一決まっている現実は、いつか一人一人死んでいくということだけですよね。それは承知していても、心のどこかでいやなことだ、逃れたい、考えたくないと思っていると、その恐怖はどんどん大きくなるばかりです。

 はじめから決まっていることにもかかわらず、死を受け入れる覚悟ができていないと、人の死に対しても、大変なショックを受けて連鎖的な絶望感からなかなか立ち直れません。

 なぜ、私たちは、これほどまでに死をタブー視して、いやなものと決めつけているのでしょうか? 多分人間は、先の想像がつかないことに対して恐怖を抱くという心理があることと、目に見えているものがすべてという価値観が根強いことによるのでしょう。

 さて、私はというと、死は単にこの肉体を伴ってする経験の終了だと思っています。その人の肉体は消滅しても、魂ごと消えてなくなってしまうのではないと信じるので、死という今世の終了に際しては、誰にでも心からのねぎらいの言葉を送っています。その魂は、きっと別の目的のために終結を選んだのだと思うからです。

 いつ死んでもいいという覚悟は、逆に、生きがいや人生に前向きな姿勢を作り出してくれます。なぜなら、死ぬことと生きることは表裏一体。いかに死ぬかということは、いかに生きるかとイコールだからです。

 人々の死生観はそれこそ千差万別でしょうが、私たちがいつどのような状態で終わろうとも、死を悟った者にとって、過去の仕事量だとか貯蓄高は単なる数値にしか過ぎません。いかに自分を慈しんで生きてきたか、悔いのない生き方をしてきたかどうかだけが、最期の安息を約束してくれるのです。

 死を覚悟した途端、人は思いっきり幸福に過ごそうと瞬間瞬間にこだわり大切に生き始めます。私は、その気持ちをとても尊いと感じます。だったら、医師から死を宣告されてからではなく、どうせ決まっていることなのだから、今からそういう覚悟で自分の人生と向き合いませんか? あなたにとって、本当に必要なものがはっきり見えてくると思います。

 いつか死ねるということはすばらしいこと。今から、とてつもなく幸福に生きてやろう、生命あることを楽しまなくちゃ…と思えるようになるのですから。

 



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