Vol.12

「心の自由と不自由の違い」

Vol.12「心の自由と不自由の違い」

 

 随分欲張りだった私も、この頃はあまり物を欲しがらなくなりました。以前の私は、古くなったから、新しいデザインや型が出たからという理由で、まだ使える物を持っているにもかかわらず買い直していました。

 今思えば、ただ満足を追いかけて走り続けていたエンドレステープのようでした。どうやらその頃は、不満足が私の行動をかきたてるエネルギー源だったようです。

 また、その頃の私は、人並みに物を持っていないと不安でしたが、最近は人のことがすっかり気にならなくなって、比べることも完璧に忘れています。そうしたら、自分の好きな物や本当に必要な物が一層クリアーになってきました。

 それを一つずつ自分に与えるときの喜びは、以前は味わったことがないほどワクワクします。いつもそのとき、「はい、自分にプレゼント!」といって買っているからかもしれません。豊かな気分って、物の数や値段とは少しも比例しないのですね。

 私にも、―物は持てば持つほど不自由になる―という意味がようやく分かりました。物やお金は、確保すればするほど『まだ足りない』を作り出します。あるいは『なくなったらどうしよう』という不安をあおり立てます。もう、こんなことに心を煩わせるのは疲れてしまいました。

 不自由は、ただ自分の足ることを知らない欲望が作り出しているだけだと痛感して、この先は、私の回りに十分あるものと意識を合わせて過ごしたいと思うようになったのです。

 空の青さ、木々の緑、吹きゆく風…私の身体に備わっている五感、臓器、全細胞…生かされている生命あるすべての存在…そうしたら、今度はそれらが感動をくれて、触れるたびに心踊るようになりました。

 この感覚は、私の中で"宇宙への感謝と一体感"という代えがたい快感に変わっていったのです。もう、こうなったら止められません。私は、もしかしたら生まれて以来今が最高の贅沢を楽しんでいるかもしれないと思っています。

 我慢ではなく、足ることを知る心のゆとりが、自らをつまらない飢餓感から解放したのです。私は、やっとの思いで手に入れたこの快感を、どんなときも誰にも邪魔されないためには何が必要かと調べてみました。

 必要不可欠なもの…それは、"心がいつも自由であること"でした。 「そうだ、私の一番欲しいものは心の自由だったんだ!」そう力んで、今度はそれを手に入れる方法を探ってみたところ、ナント、心の自由はすでに与えられていました。今までは諦めたり目を向けなかっただけで、それはいつも、以前から、誰に対しても、全く平等に、人間の心にすでに用意されていたのです。 「ああ、気が付いてよかった。間に合ってよかった…」もしかしたら、これを探す旅をして生きてきたのでは?と感じていた私は心底喜びました。

 それぞれの人生をどんな想いで生きるかは、全くその人の自由ですが、一番残念に思うのは、心の自由を失って、それに気付かないで不満と不安を道連れに生きていくことです。

 あなたは、他人が作ったあなたの自由を奪う荷物を背負い込んで歩いていませんか?あなたの心は、『これではまずい…恥ずかしい…浮いてしまう…何を言われるか分かったもんじゃないから…なしという訳にもいくまい…常識だから仕方ない…とにかくすべきなんだ』と、うんざりするほどの不自由を作り出していませんか?

 今日から、他人に押しつけられた荷物を一つ一つ降ろす作業をしていきましょう。習慣に流されないで、諦めないで、自分はどうしたいかとその都度自分に聞いてください。

 あなた自身の心の自由を手に入れれば、あなたは想像を絶する軽やかさで動き始め、これまでと同じ景色を別の眼で眺めることでしょう。満ち足りたあなたの誕生です。

 



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