Vol.11

「片想い+片想い」

Vol.11「片想い+片想い」

 

 駅のホームや公園のベンチで、若いカップルが人目もはばからずに大胆な抱擁をして愛を表現している…愛情を自由に表現できることは実にステキなことです。でも、体と体の距離が近づいた分、心と心の距離が近づいているかといえば、必ずしもそうではないようですね。

 最初は、ただ相手のことが好きで好きでそれだけで幸せだったのに、付き合うようになってから不満が増えてきたり、周囲のカップルと自分たちを比べては、いつしか相手から与えられることばかりを期待して、「〜してくれない」だらけの"くれない族"になったりしていませんか?

 また、「愛してる」という言葉も、最近のカップルにとっては、「こんにちは」と同じくらい当たり前に使われていますが、「愛してる」という言葉の内側深くにある、"人を愛する"ということの本来の姿が見えなくなっているようにも感じられます。

 あなたの、愛してるという相手への思いの淵をのぞいてみてください。「こんなに愛しているんだから、OOしてくれて当然」というギブ&テイクとか、「相手が愛をくれたら、私だってもっと愛せる」といった感情が、あなたの愛する条件として入っていませんか?

 自分が無意識のうちに掲げているもろもろの『条件』を、改めて手放すことができない以上は、それは愛ではなく"好きな人に対する欲望"に過ぎません。

 愛とは、ただ与えることに喜びがある状態です。愛は無条件の存在なのです。さらに、愛は時間を超越したものです。

 片想いでワクワクドキドキしていた頃の自分の気持ちを思い出してみてください。

 相手のこと想うだけで幸福感に満たされ、見つめているだけで時間が消えていませんでしたか?その人にめぐり逢えたことに感謝して、その人の存在そのものが嬉しく感じられませんでしたか?そして、相手のために何かできないかと願う自分がいつもいた…。

 これこそが愛の本質です。私たちはみんな初めはそれを知っていたのに、すぐにエゴに振り回されてしまうんですね。その結果、自分を苦しめ相手を追い詰めて悩みます。

 そうした悩みのほとんどが、相手を自分の思うようにコントロールしたいという感情からきていて、それに伴う期待のかたまりになってしまうことに起因しています。期待は、美しい響きですが、エゴ以外の何者でもありません。

 自分が愛することに"喜び"があれば、愛されたときに"感謝"が生まれます。でも、愛することが"条件付き"ならば、愛されて当然で"もっと欲しい"が生まれます。あるいは、なくなったらどうしようという"不安と恐れ"が生じます。それが独占欲や嫉妬心をかき立てるのです。

 恋人のやきもちは可愛いし恋に不安は付きものと、余裕で恋愛感情を楽しむのはいいでしょう。でも、一般に恋人がいても不満ばかりの人の多くは、その恋人を愛しているのではなく、恋に恋しているだけ。自分が愛されたいだけなのですね。

 愛されたければ、愛してください。もっと愛されたければ、もっと愛してください。それを、引き換え条件にするのではなく、ただ、与え続けることに喜びが感じられるかどうか、愛する人がいることに感謝できるかどうかというあなた自身の問題です。

 自分の心がすさんでいるときは、なかなか難しく感じるかもしれません。でも、誰かを愛する以上、条件と時間を超越した愛で愛したいと思いませんか?それを貫くことが、自分が本当に愛されることにもつながっていきます。

 気づいてください、愛の本質に…。それだけでも、あなたの中で眠っていた本来の愛が甦ってくることでしょう。相手に何も期待しないで、ただ見守り与えることができたとき、その愛は流れます。

 お互いが愛し合うということは、片想いと片想いが向き合っているということなのです。そんな恋愛をしませんか?そんな夫婦を目指しませんか?

 



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