Vol.9

〜ムカツイタら、チャンス到来!〜

 

 私たちは、何かにつけてムカツク体験をよくしますよね。そして、いつまでもその怒りの感情が収まらなくてイライラし続けたりもします。

 心理学的にいうと"怒り"は、自分にとって不都合な外的要因が降りかかってきたときや、触れてほしくないことが表面化したときに起こる感情です。

 その怒りが外に向けられた場合は、自分以外の人間や事柄を攻めます。「あいつのせいだ!」「あんなことさえなければ」といった具合に。

 反対に、怒りが内側に向けられると罪悪感にさいなまれ、「私ってなんておバカちゃんなの!」「あんなことしなければよかった…」と悔やんだり落ち込んだりします。同じ怒りでも、その方向によって反応や対象が変わるわけですね。

 ここで、―現実とは、主観からなる真実―ということについて考えてみましょう。

 意訳すれば、『同じ出来事(現実)に遭遇しても、その人がどうとらえるか(主観)によって、味わう結果(真実)はまちまち』ということです。

 私たちは、よく「あんなに怒るなんて気が知れない」と人のことを言いますが、そこまで怒る理由も、その人にとってはまぎれもない真実です。ただ、それにどう対処するかの問題なのですね。 

 具体例をあげると、道端で転んだとします。自分が不注意だったと思えば、怪我もなく済んでありがたいことが、ついてないと思う人にとっては腹立たしい不快な体験です。

 また、スラックスを新調した初デートの日に雨が降ったとします。「これで今日は相合傘だ!」という人と、「ハネがあがってズボンが台無しだ」と思う人とでは、雨降りという現実は全く違う意味を持ちます。

 他に、上司から小言を言われ、それをイヤミと受け取るか、忠告と思えるかという場合も同様です。

 こうして改めて見てみると、転倒や雨降り、言葉といった現象を、良い悪いと決めつけているのは、本人のそのときの都合でしかないということがおわかりでしょうか?

 世の中の出来事それ自体は、すべて中立なのです。それぞれの人が、自分の利益不利益によって勝手に腹を立てるだけです。

 私たちは、これまで生きてきた中で幾度となく感情が傷つけられ、知らないうちに警戒心がいっぱいになっていたり、戦闘的になっていたりすることが意外に多いのですね。それが、不意を突かれるとムカツクという反応を引き起こします。

 メカニズムがわかったところで、これからは怒りの感情に振り回される側にいないで、味わいたい現実を意識して作り出してみませんか? 主観を変えれば真実が変わるのですから、ここで発想の転換をしましょうよ! 

 あえて申し上げますが、"ムカツイタ!"と怒ることは決して悪いことではありません。むしろ、瞬間的に感情を発散することは大変重要です。でも、いつまでも怒っている人って好かれませんし、何よりも自分が幸福にはなれませんよね。また、怒りを溜め込むことは、心身に最もダメージを与える行為でもあります

 ムカツクことをやめなくていいから、ムカツイタら不愉快に埋没しないで、"今自分の人生にはいいことが起きている"というスタンスに立つという発想の転換をお勧めします! 

 できるだけ早く怒りの感情を自分の中から通過させるためにも、その状態から何か得することはないか、わかることはないかを必死で探してください。

 怒りの体験を通して、あなたはきっと何かに気づくはずです。自分のことでも、相手のことでも、過ぎ去った出来事の何かでも…。

 ひとつ何かが腑に落ちれば、怒りはぐんと軽減して通過していきます。それから、ひとつ理解を深めて、ほんの少し大きくなった新しい自分に出会っていく―。

 これを日常生活で繰り返すうちに、怒り体験=いいことに本当になっていくのです。だってムカツクたびに、"自分を進化させるチャンス到来"ということになりませんか?

 



copyright (c) 1999 Yuriko Usami's Internet office. Mostrecent update: 07/23/99