Vol.8

〜片方では意味のないもの〜

 

 いよいよ夏本番ですね。夏の暑さは好きですか?

 暑いと文句をいい、寒くても文句をいいながら生きている人っていますよね。四季のないところに移ればいいのに…と思ってしまいますが、あなたはいかがですか?

 私たちは、不安や孤独を嫌い、貧乏や不幸を妬み、病や災難を恐れます。でも、いみ嫌う前にちょっと考えてみてください。

 もし、それらが初めからなかったとしたら、それらを自分の人生で味わうことも、見聞きすることもなかったら…はたして私たちは幸せを知り得るのでしょうか?

 私たちは多くの不満を並べ立てる健常者やお金持ちとか、逆に、尊敬され愛される障害者や貧しい人を見受けますが、いったい幸福の基準はどこにあるのでしょうか? 

「病気になって初めて健康のありがたさを実感する」とは、誰しも思い当たることですよね。生まれてこの方ずっと健康だったら、それが当たり前で感謝の気持ちさえわいてこないでしょう。私たちが健康に感謝できるのは、たとえ風邪でも、しんどい思いをした経験がみんなあるからです。大病をしたことがあればなおさらですね。

 同じように、貧乏・苦労・不安・孤独といったネガティブな感情を知らなかったら、もし、世の中にそれらがなかったとしたら、豊かさ・気楽・安心・信頼というポジティブな感情も同時に存在しなくなってしまうということを知ってください。

 片方は、もう一方を存在させるためにあります。そうでなければ、私たちは学べないからです。心に闇(邪心)があるのは、心に光(良心)があることを認識するため。それらはすべて、私たちが愛を表現する存在だと気づくための必要な仕組みなのです。

 だから、もし私たちが学び終われば、愛と感謝に満ちた光の存在になれば、もうネガティブを味わう必要がなくなってしまうので、不安や苦悩に遭遇しなくなることでしょう。

 その人にとっては、ただ現象があるだけで不幸とはとらえないという意味です。たとえ、自分の身に大変なことが起きても、その対極にあるものを心が選択するので、その体験にすら感謝できるようになるということです。

 だから、身体的あるいは境遇的ハンディがあっても、それを不幸や不満ではなく、自分が生きていく上での条件として受け止めて、とことん幸せな生き方を追求しながら暮らそうします。現に、そうして生きている人がいらっしゃいますよね。

 そうなって初めて、人は、この世には最初から不幸などなくて、自分の比較する心や不足感がすべてを作り出していたことを実感するのだと思います。

 私たちはみんな、充足感や楽しさ、安心や信頼に満ち満ちて生きていくことを望んでいますが、それを手に入れるための方法は、たったひとつしかありません。

 今、自分の抱いているつらくて不快な感情から、嫌がって目をそらさないことです。

 逆に、自分が作り出したその感情を、避けようと思わないで全身全霊で味わってみてください。その感情を今必要な体験として受け入れて、その感情を味わい尽くすことで、私たちは対極の“生かされている幸福”にたどり着けるのです。

 逃げれば幸福からも逃げられてしまいます。逃げ出さなければ、あなた自身が必ず痛みの中に、こうなった理由とどうすればいいかを発見します。それまで目をそらさないで、私は向き合うという意志を発動してください。やっつけようとしないで一緒にいるだけでいいのす。

 対極を存在させているネガティブなエネルギーは、じっと見つめられることで沸点に達して、水が水蒸気に姿を変えるように、ある瞬間にポジティブに転じます。そのとき答えがわかります。

 それが、覚醒という人間の持っているミラクルパワーではないでしょうか――。

 



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