「どんな想いの世界に暮らす?」

Vol.4

 

 忙しかった後に空白な時間ができたとします。本来なら「ホッ」と息をつくひとときなのに、何もすることがなくてヒマな状態が続くと「退屈」になってしまう…これは、よく起こる心の現象ですよね。

 でも、考えてみると「ホッ」と「退屈」のいずれも、自分にとって、かけがえのない同じ時間なのに、それが、まるで価値が違ってしまうのはなぜなのでしょうか。

 自分の人生を、楽しいと感じるかつまらないと感じてしまうかは、その人の“想い”のままです。言い変えれば、想念が今の環境を作っているのだということをご存知ですか?

 毎日仕事をしていれば、もちろん困ったことやイヤなことも起きるでしょう。そんな中で、嫉妬や不満でふくらんだ恨みがましい想いで職場にいる人がいるかもしれません。

 また、同じ時間、同じ場所で同じ労働をしていても、自分自身を磨くために与えられた人生の場と考える人と、お金や評価といった見返りのために、がまんして仕方なく働くという人とでは、その想いに大きな違いがあります。

 この「がまん」や「仕方ない」は、自分に言い訳として聞かせている言葉で、“想い”というよりは観念。そのように割り切ろうとしている観念の奥にあるのが想いです。この場合なら、例えば「どうしてこうなんだ」とか「どうせできないし…」といった不満や不安が、その人の暮らしている想念世界になります。

 一方、自分自身を磨くための場という思考の奥には、「成長していくのが楽しみ」「何が起きるかワクワクする」といった前向きな想念の世界があります。

 失恋や離婚も同様です。私の方が哀れだとか損をしたという想いに浸りつづければ、それがその人の人生そのものになってしまいますが、痛手をバネにして学び、新たな自分を発見して歩き出した人は、あの経験に今は感謝していると言いますよね。

 人は、このようにそれぞれの出来事や環境そのもの以前に、それらに対する“想いの世界”に暮らしています。実はこれが、幸か不幸かを決定しているのです。

 私たち全員に、どんな環境や条件のもとでも、自由に想念を作りだす力が与えられています。別の言い方をすれば、私たちには、自分に与えられた時間をどう感じてもいい自由が平等にあるのです。すばらしいと思いませんか?

 だから、幸せに暮らしたいのなら、あなた自身の意思力で瞬間瞬間の想いを変えていくことで、人生は変わっていきます。

 それには、まず「自分にとって無意味な時間や出来事はない。観念が良し悪しを決めつけてまどわすだけで、すべての体験には何らかの発見がある」ということを信じることです。

 具体的には、どんな苦境に対面しても、これを味わうことで学んでいくのだということを忘れずに、とにかく向き合ってください。逃げるのをやめて発見にのぞんだとき、必ず乗り越える智恵と勇気がわいてきますよ。

 そして、足もとにある小さな幸福を見つけながら、今できることを喜んでやっていくことです。これは、意識し続けることで習慣化でき、あなたの生き様になっていきます。

 そうすれば、次第に楽しく有意義な想いの世界に暮らせるようになって、いつしかその世界が、あなたの人生そのものとなっていくことでしょう。

 

 



copyright (c) 1999 Yuriko Usami's Internet office. Mostrecent update: 05/14/99