小説や映画で「失楽園」が話題になって以来、妻の胸の中にあるものが飛び出して、身を焦がすような一途な恋にあこがれ不倫に走るケースが実際に増えているように感じます。
不倫に道徳論を持ち込めば「許されないこと」になりますが、私は不倫を1つの選択行為ととらえるので、なぜそうなったのか、その結果何を体験するのか、という点を掘り下げながら責任を取って生きる覚悟を最も重要視します。
一般に妻が不倫に走る心のメカニズムは次のようになります。まず、結婚して3〜4年経つと、夫の自分を見る目が"子どもの母親"としてだけで、いつしか魅力ある女性としてではなくなってしまったことへの寂しさや悲しさ、不満を抱くようになります。すると、"このまま女としての魅力が失われていくのか…今のうちなら私だって…"という老いへの恐怖と焦りが生まれます。それは若い頃に味わった恋のときめきや情熱をもう1度自分のものにしたいという衝動に変わり、それが多くの女性を不倫に誘います。
そして、いざ不倫に足を踏み入れると、"OOちゃんのママ"ではない"個"としての自分の存在が慈しまれる快感を覚えます。セックスも"いつでもできる"から、"今しかできない"に変わるので、燃え上がって満足し合うという付加価値が加わってきます。
でも、そこで「彼との関係があると、家庭生活がマンネリ化しない」というのは、妻の自己弁護だということを知ってください。一見うまくバランスが取れていいようですが、夫への罪悪感から優しく振る舞うだけで、妻は後ろめたいことがあるから、かえって夫を優しく許容することができてしまうのです。それを夫は愛情と錯覚します。錯覚している間、夫婦の問題が表面化してこないだけなのです。
もちろん、夫への不満がうっ積している場合は、逆に妻は不倫したことで一挙に夫に対する嫌悪感が爆発して、別れたいという「居直り離婚」の注ぎ水になる場合もありますが―。
私は、ここで「人間は善し悪しに関係なく、ひとつのものを手に入れるとき、必ずその対極のものを失っている」という真実にきちんと目を向けていただきたいと思います。これは「病気―健康」「貧乏―裕福」「興奮―安らぎ」というような相反する事象について、人間はたえず一方をなくすことで、もう一方の存在を知っていくということです。例えば、病気という事実を失えば健康が表われるということで、大切なことは両方を同時に手に入れることは絶対にできないということです。
しかし、あなたは不倫で"情熱"を、家庭では"安らぎ"という相反する2つの事象を別々の相手から同時に手に入れようとしています。目にははっきり見えなくても、すべてが変化し続けていく世の中で「このまま」はあり得ません。一時的に両方を自分のものにしたような気になっているだけです。いずれどちらかが破綻します。あなたはそれから考えるつもりですか?
あなたが、この先どのような結論を出すにしても、自分を含めて誰をどういう理由で傷つけることになるか、それを想像できていますか? その上での選択なら、それがあなたの人生であり生き方です。でも、ほとんどの人が、言い訳はしても覚悟を決めることからも責任を負うことからも逃げているように思います。それでは、ただ自分さえ満たされればいいとか、こんなはずじゃなかったという生き方から脱することはできません。
7年経った夫婦なら、安らぎのあることに毎日感謝できる自分を作ることが先決ではないでしょうか。失ったものではなく、生まれているものを見てください。結婚生活がマンネリ化しないためには、まず自分が常に新鮮な気持ちで自分自身と向き合いながら生きていくことが大切です。それを夫のせいにしたり愛人に頼っていては、いつまでも不足人生の悪循環から脱皮することはできないと思います。