霊鷲太母の未発表の文章が本になりました。
「慧日 立山編 他」収録文書
立山(未発表)
愛情の別名(未発表)
太母さまのうた
静流への手紙
「立山」から抜粋。
「あれは浄土真宗の大谷派で、報恩講などで読経される、正信念仏偈の、真四句目という
節です」
答えつつ又も私は先刻の滝の音の不思議を想起する。
「ふーん、ともかく、胸のひらくお経ですな」
称名の滝というと、念仏を称なえている滝という事である。滝の近くに座っていた時の
私は滝の名は知らなかったが、ひとりでに口を衝いて出たのが、正信念仏偈の真四句目
のおおらかな節調のお経であった。三、四十分間、滝と共鳴りしている間に私はおおらか
そのものになり、身もなく心もなくなっていた。やがて滝を後にして急坂にかかるのであ
るが、急坂を意識せず、平地の如く軽々と登っていると背後から追って来た滝音が突然、
幾百万人の念仏の合唱となって、わーんと全身を後押しする如くであった。何ともはや不
思議。今滝の名を聞いた途端に私の内に雨と降る思いがあった、この思いが私の中で渦を
巻いている。人々と語っているうちも、私はこの思いに捉われているのである。
(中略)
「一寸外を見てごらん。何も見えないでしょう立山様もたった今は、私の部屋より狭い」
「あはっあはっあはっ、全く一寸先も見えまへんなあ」
「こんな日はあなた達、何を見る」
「何を見るとて霧より外見えまへんね」
「見えない物は、無理に見る事ないでしょう。
見えるものを見なさいな」
「こんな山小屋の中ですもん、別に見るものなんかないですて」
「あなた達、二人じゃない」
「そうです」
「お互いがお互いを見れば」
「もう見るものなどお互いにありまへんなあ。何しろ夫婦ですさかい、夜も昼も一緒で、
お互いに相手も自分の事のように知り尽くしておりますさかい」
「それで自分の事分かる」
「あれ、自分の事は自分の事ですさかい」夫婦は物珍しげに私を見る、たわいもない話を
聞いているという風である。
「よく分かっているって事ね、では何の不平も不満もない」
「何の何の不平不満だらけですげ」と主婦は答える。
「不平不満のない人間なんぞこの世にゃおらんのじゃないですかい」と主人も主婦も大差
ないようである。
「だったら、あなた方、自分が分かっていないのですわ」
「ではあんたさん、御自分が分っておられますけ」
「ええ、よーく分かります。それで私には、不平も不満もない。不平不満どころか、有り
難いやら、勿体ないやら、不思議やら、もう無限の驚きと感謝が、日に日に深まるばかり」
「へえー、まあーどうしたら、そんなお心になられましたけ」夫婦は同心になって、私の
口もとを見ている。
「この眼、この耳、この鼻、この口、この舌、この歯、この手足、五臓六腑を具えたこの
体。 血脈網、
神経網、 汗腺や毛穴をそなえた皮層の構造。 毛髪の一条、血の一滴など、
あなた方自分で作った覚えある」
「あれまあ何を言われますやら、そんなもの誰かて自分で作った覚えなどありやしまへん
に、決まっとりますげ」
「じゃ誰が作ったの」
「さあーて、神様ですけのう」と主人。
「仏様でしょげ」と主婦。
「神様と仏様とでです」
「すると神様と仏様とは御夫婦のような間柄ですけ」と主人。
「そうねえ、夫婦のような、と言えば言えない事もなけれども、夫婦というと、気に入ら
なければ別れる事も出来れども。神様と仏様では常に離す事も離れる事もできない関係で
あるの、これを相関関係というのだけれど」
「あれまあ、何じゃやらむつかしなりましたなあ」
「まあ、あなた方の言う様にひとまず夫婦という事にしておきましょう。夫婦だと子供が
生まれるわね」
「子を生まぬ主婦もありますちゃ」と主人。
「まあ今の場合子供を生むのが夫婦という事にしておきなさいな。夫婦が子供を生むと、
子供は分身となってしまって、親とは関係のあるような、ないような具合でしょう」
「そんな事ないですて、親は子供を育て、育てられた子供は親に御恩報じという事もある
し、子供が子を生めば、孫が可愛いという事で、関係は死ぬまででしょか」
「まあ生涯一緒にいるとしても、そのくらいの事で。たとえ親でも、生んだ子供の心が分
からない。子供は親の腹から生まれ、親に育てられ、もしかして、甲斐性のない子で、一
生親に面倒を見て貰っていても、それでも親の心が分からない、という事が世の中に沢山
沢山あるでしょう」
「そうですてのう。それに親がなくても子は育つという言葉もありますもんのう」とよう
やく主人は納得してくれる。主婦もうなずいて、私の話を待つようである。
私は二人をつくづく眺めて相関関係という言葉も知らぬ二人に、どのように話をつごうか
と、しばらく思案する。
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