舟岸につなぎなさい −はじめに− |
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舟を岸につなぎなさい
ここに紹介する文は今から60年ほど前に霊鷲太母が書いたもので、完成数年後の1956年(昭
和36年)3月3日、早稲田大学の大隈講堂で発表されました。その当時は高度成長期のほんの初期、
まだ環境汚染という言葉も無かったような時代です。
はじめに
第一章 舟を岸につなぎなさい
第二章 潜在意識が容認しているもの
第三章 岸につなぐ綱
第四章 岸につなぐには
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太母さんの教え |
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一心敬礼
現在スピリチュアルテレビ(http://spiritual-tv.com/)で放映中の「太母さん
を囲んで」を久しぶりに観て、忘れていたことを色々思い出しました。
中でちらっと太母さんが言っていたことで、「心はひとつなんですよ」というのが胸を打ちました。
太母さんの好きな声明(しょうみょう)のひとつに「一心敬礼」というのがあります。
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あれから二年 |
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今月には太母さんの三回忌があります。亡くなって丸二年が経とうとしています。その間に様々な体験をしましたが、どれもみな以前とは違って、心の中に住んでいる太母さんと一緒に体験したのです。生前はそうではなかったのです。
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親より大切なもの |
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ある時太母さんが集まっていた何人かの人に、「みんな謎々しよう。親より大切なものってあると思う?」と聞きました。
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母 |
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あれは母が八十七歳くらいの時でした。少し記憶があいまいになってき始めてきて東京に住んでいてはすぐに駆けつけられないと思いあまり遠くない所に引っ越した後のことです。毎朝様子を見にお寺に行き、誰もいなければ食事の支度をして帰りました。
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天地禅堂 |
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先日友人の僧侶の手紙に「天地禅堂、衣食天与を座右の銘に、ただいま悪戦求道中(あくせんぐどうちゅう)・・・」とありました。とても爽やかで体の出来た(丹田にデ〜ンと気が入っていて姿勢がビシッと決まっています)人で見ていても小気味の良い感じでこちらまでスカッとします。
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私は後がいいの |
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体操が苦手だった太母さん。「私には運動神経がないの」って言っていました。
これは小学生の太母さんの運動会での話です。
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旅する母娘 |
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写真の山を整理していたら、外国旅行をした時のものが沢山あったので、色々思い出にふけりながら一日眺めてくらしてしまった。
何とも楽しそうな写真をひとつ。
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太母さまの思い出 |
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ある時足袋をぬいだ母の足を見て胸が痛んだ。定期的に短く切っていないようで、伸びた爪が足袋に押されて変形してしまっていた。もともと何かを定期的に行うのが苦手の人だったうえに、歳をとって視力が弱まり、足の爪がよく見えなくなっていたのも原因しているらしい。
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太母さんの教え2 |
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母は旅が好きな人で、思い立つとその日に出かけてしまうようなことがよくありました。国内旅行は他の人にまかせて私はもっぱら外国旅行にお供をしました。その一風変わった旅の仕方にとまどったり、困ったりもしましたが、今思えば随分と勉強になる点がありました。特徴を箇条書きにしてみましょう。
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最小限度の消費でもって最大限の幸福を得る |
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「わしの教えはわしを見れば判る」とよく言っていたように、実践できないことは教えない人でした。何を実践していたのかと言うと、次の一言に尽きます。
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天地人清浄のうた一(原書) |
天地人清浄のうた一(解説) |
| 天地人清浄のうた一(原書)の解説となります。
闇世明世化(あんせいめいせいか)の決めてを秘蔵している全人類開眼のうた
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光顔巍巍(こうがんぎぎ) |
| 太母さんの好きな経文の一節。
大無量壽経にある讃佛偈(如来を讃美する文)
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掌中の珠 |
| うたたねをしていたら掌(てのひら)にまろやかな感触がして、そのあまりの心地良さ にしばしうっとりとしていた。
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太母さまのうた |
| 「さくら」と「ゆき」をご紹介
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太母語録:ユーモア編 |
| 菊池静流より愛をこめて・・心にしみる太母さまの一言
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