天地禅堂

 先日友人の僧侶の手紙に「天地禅堂、衣食天与を座右の銘に、ただいま悪戦求道中(あくせんぐどうちゅう)・・・」とありました。とても爽やかで体の出来た(丹田にデ〜ンと気が入っていて姿勢がビシッと決まっています)人で見ていても小気味の良い感じでこちらまでスカッとします。ホンマもんの坊さんの生き方をしているのだなと思います。衣食は天から与えられる、つまり托鉢によって、頂ければ良し、頂けなくてもそれが天意と心得て文句は言わないということですから、姿勢としては両手を挙げて天にお任せの境地でしょう。それなのに悪戦求道中というのは、「人知を尽くして天命を待つ」の人知を尽くしていられるからと思います。托鉢したり、素敵にかわいらしいお地蔵さまの絵を描いてそれを売ったりして生活の足しにされています。本来お坊さんとはそうして生きるものだったのです。(私を見ないでくださいね)。

 ある時太母さんが托鉢に行くのについていったことがあります。私が7、8歳の頃ですから日本はまだ戦後の復興途上でGNPも低い時代で、言わば「一億総貧乏人」みたいな経済状態だったと記憶しています。私はいつもお腹が空いていたものです。太母さんもお布施があまり入らなくてお寺は貧乏の極みでした。それで時々托鉢に出かけたのです。普通の托鉢と違い、知己を訪ねてお経をあげ説法するという方式でした。この日訪ねた家でも説法をして、さて辞去したのですがお布施はありませんでした。懐に帰りの電車賃はあるのだろうか。私は心配しました。子供でもその位の心配はするものです。太母さんに手を握られて私は下を向いて歩いていました。その時「静流、空を見てごらん。美しいよ」と言われました。見上げると本当に抜けるように青い空で、その空に向かって胸をはって明るい表情で母は歩いていました。私が子供心にも母が心配でションボリとしているのを見て励ましてくれたのです。その時いらい私は苦境に立ったときは堂々と胸を張って青空(曇り空でも同じですが)を見上げるように姿勢を正すよう心がけるようになりました。そうすると不思議にもう怖くはないのです。

2003/03/02