私は後がいいの

 体操が苦手だった太母さん。
「私には運動神経がないの」って言っていました。
これは小学生の太母さんの運動会での話です。

 百メートル競争で校庭を二周することになりました。
「ヨ〜イ、ドン」といっせいに子供たちが走ります。太母さんもトットコトットコと走りました。他の子がすでに一周して、二周目に入ってもまだ一周目を走っています。二周目の子がゴールに近づいていくので、ゴールイン用のテープが張られ、旗を持った先生たちが並びました。

先頭(?)を走っていた太母さんは「1」と書かれた旗を目指してゴールイン(?)。先生は違う違うと横に手を振りながら旗を渡してくれません。事情が全然飲み込めていない太母さんはどうしたのかしらと首をかしげて立ち尽くします。その隙に本当の一番だった子が旗を握りました。

それで、太母さんは仕方なく「2」の旗の方に行きます。また他の子がさっと取ってしまいました。「3」の旗ももう他の子が握っています。ウロウロしている太母さん。
そこへ見物席から大きな声がかかりました。
「嬢ろはんにも旗やれ〜っ」(注。富山の方言で嬢ろはんは譲ちゃんの意味。)
「そうだそうだ。何かやれ〜っ」とあちこちから声がかかります。
仕方がないので褒美の紙袋を教師が太母さんにも渡しました。
「いいぞ〜っ。ゲットウ賞」(注。ゲットはビリの意味)と誰かが言ったので校庭中笑いの渦になりました。

 その頃には事情が飲み込めていた太母さんは目を輝かせてニコニコしました。笑われているから恥ずかしいなどという感覚がないので、皆が楽しそうに笑っているのを見て嬉しかったのです。

 ずっと後になって大人になった太母さんもやはり、笑われているから恥ずかしいと思ったこともなく、また自分がビリになると他の人が勝って喜ぶのでそれが嬉しくてニコニコしていました。

2002/10/30