時間の同時性


 今は昔...ということばで始まる物語がありますが、昔の話を今聞いているわけですから至極当然の書き出しです。そこで「昔も今なのだ」と言われたらどう思いますか。さらに「昔も今だし、未来も今なのだ」と言われたら何のことか解りますか。よく解る人はこの先を読む必要はありません。

 読むことに決めた皆さまへ。ではこれから私と一緒に順を追って考えてまいりましょう。まず「今」とは何かを考えて見ましょう。端的に言えば過去と未来の「間」が「今」です。言い換えれば「今」を境に過去と未来が分割されています。「今」という時間的長さはありません。一秒でも一億分の一秒でも時間の経過は経過です。経過すると過去になります。一億分の一秒でもまだ至っていない時間は未来です。過去でも未来でもない境目の「今」という「時」は「無の瞬間」なのです。「時間の外」と表現している人がいます「時間を超越した時間」と言う人もいます。皆さま「無の瞬間」というものを表現するのに苦労していらっしゃいます。ただし瞬間を文字通り「瞬きする間」としたらこれは「今」ではありません。瞬きするには何分の一秒かは要しますから。混乱を避けるために付け加えておきたいと思います。

 それはさておき「今」の定義については提示されました。では過去とは何でしょうか。端的に言いますとこれは「記憶」なのです。すでに過ぎ去っている「時」に遡って行ってその時間を実際に生身で再び訪れることは出来ません。過去に起きたことがらを思い出してその体験を再度味わうことは出来ます。記憶庫の中にぎっしり詰まっている過去ばかりを思っている人はその間は「今」に意識は向いていません。いわゆる「過去に生きている」のです。

 同様に未来とは「想像」なのです。人間はまだ来ていない未来に何かがこうなるであろうという「イメージ」を思い描くことが出来ます。最近サイエンスフィクションの映画が多数制作されています。アメリカ人は殊に未来の物語が好きなようです。

 さて、過去の記憶から楽しかったことや悲しかったことを思い出している時のあなたは「今」それを体験しています。未来の宇宙活劇を映画で見ながらハラハラドキドキしているあなたも「今」その体験をしているのです。言うなれば過去の記憶も未来のイメージも「今」という「無の瞬間瞬間」に体験されているという意味において「今のできごと」なのです。

 さて、人間の思考、具体的には思い出やイメージングは脳の活動です。この脳の活動は電磁気的活動です。電磁気的活動はプラスとマイナス、オンとオフというように二種類の様相に分かれています。オンとオフの二つをOと1に当てはめてそれを基本に作った信号をデジタル信号と言います。コンピューター言語もデジタル信号です。現代ではイメージ(画像)も音声(音楽など)もデジタル化されCD、MC、DVDなど多用な媒体があります。電話もそうです。知らなかった人もいるかもしれませんので念のため。

 さあいよいよ本題に入ります。もし、もしもですよ。この電磁気的な活動を直接的に意味ある信号として理解できる存在があるとします。その存在から見たら、過去のできごとや未来のイメージを体験している「人間という電磁場」はどういう形になるでしょうか。よく考えて見てください。せっかくここまで読み進めていらしのですから。


 「今」の集積に見えませんか。過去も未来も全て一緒に一点に集中して、体験という電磁気的思考を瞬間瞬間に行っている、つまり火花を散らすようにスパークしたり止まったりしている「瞬いている光」に見えるのではないでしょうか。ある意味では「星」のようなものに見えませんか。

 「今」というものが何であるかを教えて下さった小田野早秧先生はご自分が亡くなられたあとは「星」になるのだとおっしゃっていました。肉体は滅んでもその人の「思い」は電磁気的スパークとして存在し続け、先生の思い出を記憶庫にしっかりとしまいこんでいる弟子たちは、思い出す度に先生をイメージし、その弟子たちのイメージの集積は「今」という瞬間瞬間に星のように輝いているのだと思います。


 私はあの夜空に輝く星のような存在で、現時点ではまだ光は弱弱しいかもしれないけれど、今にきっともっともっと強く煌く宇宙の星の一つになるのだと、未来のイメージを描いたりしています。


2002/03/24(小田野早秧先生のご命日)
静流記