字分けをしてみよう

 

舟(世界)はフネ(普負 音)の助けによって救われる

 

ずっと以前のことだが、「舟を岸につなぎなさい」という本を小田野先生に贈った人があ

り、その後私が先生のお宅にお伺いすることになった。最初は命波の先輩の八田光典さん

に連れられてのお伺いだったが、二度目からは一人で来るようにと言われ、さて、一対一

で座ったとたんに、

「あなたね、舟を岸につなぎなさいってどういう意味か分かりますか」と訊かれた。いき

なり前置きも挨拶もなしの質問だった。

「はあ?」と間抜け面をしていると、

「舟って何。岸って何。何を使ってどうつなぐの?」と矢継ぎ早の質問。

「はあ」と相変わらずの間抜け面。

「ではこれからそれらをお勉強してまいりましょうね。私だって大して分かっちゃいない

んですから、先生なんて呼ばなくても良いですよ。まあ先に生まれていますから、呼んで

も構いませんけどね。ではこれからどうぞよろしく」と挨拶された。

「あ、ど、どうも、こちらこそよろしくお願いします」とヘドモド。その時はまだ本腰を

入れて学ぶ決心をしていなかったのがバレていて、先手を打たれた。もう後へは引けない

ような気がした。

それからは毎週お伺いするようになったが、他の用事はおいても、これが最優先事項と

なってしまった。私の表意識は知覚していなくとも、真我というか、心の奥底では一番大

切なことと感じていたのだと思う。

 

さて、命波を学ぶようになった経緯はさておき、最初に尋ねられた質問についてはその

後ずっと考えていた。様々な側面からいろいろな答えを導き出し、その都度「これが答だ

ろうか」と自問自答し続けた。ちなみに私にとって答えはいくつもあった。しかし、それ

らを貫いて常に介在していたものは「コトバ」だった。

 

ここで、一つ舟について検証してみようと思う。フネと読むが、フナとも読める。

 


 

普負」という字は小田野先生が啓示によって作られた字で、日本語にはないが命波理論

では重要な意味を持つ。普く(どこもかしこもくまなく)負っている(になっている)、言

い換えれば遍在となる。全宇宙に遍在するものはただ一つ、絶対止速の光だけだというの

がこの理論の中心的な柱でもある。絶対止速の光である音がフネであり、フナでもあると

なると、ではそれは何か。まず数字の二と七があてられる。二とはなにか、七とは何かは

ここでは割愛。27という数字に注目することにしよう。命波では数字はアルファベットを

検証する際に使う。ご存知のようにアルファベットは現在26文字ある。世界の大多数の

言語で使用されている文字である。それぞれの文字の順番に注目し、A1B2….Y

25Z26という順番で昇順を表数、逆にZ1A26とする降順を裏数として単

語を構成する文字列の合計数を出して、その数の読み音に天鏡図の文字を当てはめて検証

する。これはどうしてかというと、アルファベット言語の単語の意義と漢字の意義との共

通項を作るためである。いうなればプラットホーム。日本語なら「同じ土俵」とでも言え

ようか。

例をあげると、SOUNDの表数の合計は73、これに天鏡図の音を当てるとナミと読

めるので、名と実となり、合わせて波という字も出てくる。裏数の合計は63ムミとなり、

またこれにも文字が当てられる。合計は135になる。これにも字が当てられる。そして当

てられた文字を検証するのだ。ちなみに各文字の合計数はすべて27となる。これはアル

ファベットの文字の個性はそれぞれ異なるが、その実体はすべて27という数値を持って

いるとも解釈でき、27という数字を見れば即アルファベットの持つ「実力」と取るのが命

波を学ぶ人間の反応である。

 まあ難しい説明は研究生ではない読者にはアクビものと思うので、話を先に進める。

27をアルファベットとすると舟は「普負音」とアルファベットの両方を意味すると解釈で

きる。これは私にとってということだが。

 世界は破滅の滝に向かって流されて行く笹舟のようなもので、その舟の上で人類は互い

に喧嘩をしているが、滝つぼに落ちてしまえば、善人も悪人も、正しいイデオロギー、間

違ったイデオロギーも何もない。全員破滅となる。だから、喧嘩している場合ではない。

全人類一丸となって「舟を岸につなぎなさい」というのが霊鷲太母の警告である。

 

ここは字分けの話なので、本題に入る。

 

まず世界は英語(アルファベット言語の代表)でWORLDと言う。これを分けると、

WORDLにもできる。WORDは言(ことば)と訳されている。Lは命波では開く、展

開するという意味に取っている。世界は言で展開されていると取ることができる。また世

界を字分けすると、

 

 

 

 

 


 世界という舟(27)はフネ(普負音)が助け(田介、タスケ)ることで救われると取れた。また世界は言で

展開されているのだから、言、つまりコミュニケーションで解決して行けると取ることも

できる。そして、私もそれしかないと思う。喧嘩は誤解曲解から生じているのだから。

また、誤解曲解をねつ造している人たちがいても、それに惑わされない知恵を磨く努力を

することも各々の人の務めでもあると思う。

 

2010.12.2

菊池静流 記