字分けをしてみよう

 

不整脈

 

9月9日の頂き物は「不整脈」

 

この日は重陽の節句です。運動をしていてドカンと来ました。ショックがあったので、

腰を下ろしたらそのまま立ち上がれなくなりました。そのままじっと体重というものを

噛みしめながら頭の中で字分けしたのは、重いと陽。そのときはざっと思っただけで、

実際には以下の字分けは14日にしました。N(14)云の日です。

 

 9月9日、9と9という数値に音を当てると「コ」と「コ」、この場合は此処という所、

地球上と取りました。光の故郷は「茲」ですが、重い肉体を味わっている最中ですから、

此処ととりました。従って陽=ヒ、も一(絶対の意)を当てずに限り有る時間ととりまし

た。永遠の生命の光はさておき、この生涯における時間枠という意味です。この生涯にお

いて、菊池静流として生きている限られた時間の中で、残すところがあまりなくなってき

ているという実感をしました。今すぐ死ぬという意味ではなく、人生が80年くらいとし

たら80%以上が概に経過しているという意味です。

「死」の実感というふうに思いを馳せると、重い体から意識がすっとぬけて母なる宇宙

(音の心が展開する絶対透明の網の田)という故郷に戻る「光の子、いとしご」達の行列

が見えます。何と言う「お計らい」なのでしょう。何をしても必ず愛は受け続けている私

達宇宙の子供、實の母のみもとに還るまであとわずかの時間なのです。妙なる調べが聞こ

えてくるような、何ともいえない幸せな気持ちになりました。涙があふれるのですが、勿

論悲しいのではなく、ありがたく、嬉しいのであふれるのです。

さて、次に、この世に血の通う肉体を持って有る間は重い体(カサ=量によってナル=

成)があるので、それを無視してはいけない。大切なお預かりものの肉体です、この肉体

の心という臓器に不具合が生じているのを吟味しなければなりません。

 

心と名づけられた臓器、心臓です。ココロをココ=此処という有限の現象の場。ロ=路、

歩む人生ととりました。思いを運び(云)それがかたち(現象)となって表現される器官

である心臓。悲しみも喜びも、苦しみも怒りも、みな心臓に響き、響きとともに味あわれ

ています。人生とは感情の体験の場です。そこが不整脈なので、これを検証します。

 

いやあ、驚きました。今まで整うという字を分けたことがなかったのです。何が驚きか

というと、正しい勅、ミコトノリだったからです。この字は天皇や最高権力者の勅令とい

う意味で使われます。これが正(分けると一と止、絶対の止速とります)の勅令なので、

光透波の勅令ととれます。それが命(ミコト)の法(ノリ)なのです。内訳は透明な光(絶

対止速)の働き(能)を支えている理(コトハリ=光透波理)です。それが通っていない

(不)のが不整脈なのです。矢(天+ノ=能)天の働きという宇宙(空)の實体、それが

本当の宮なのです。鳥居のある神社のような形ではない、光の宮が空の宮です。この宮は

私達人間の肉体内においては血として脈打っているのです。これは私達が母の胎内で胎児

となってから年老いて肉体生命が終わるまで、一時も休むことなく、ひたすら脈打ち、そ

れが眠っている間も続けられています。そしてその間休むことなく生命維持に必要な栄養

を運び続けているのです。

不整脈になったからこそ、ついおろそかになっていた命の法という原点に意識を戻すこ

とができ、天意に則って、わき道にそれていた心構えを匡すことができたのです。

また脈は英語でPULSEです。これはPLUSEに分けることができます。PLUS(加

えられている)E(エネルギー)です。一生の間、夜昼なく、休み無く、私達を生かし続

けている命のエネルギーが天の實親から加えられているから、この人生で感情を体験し、

学んで、そしてまた天へと還っていくのです。

 

合掌。

 

2010/09/14

菊池 静流