トリイと開

 

2010214 718

 

神社の入り口にあるトリイがどこまでも続いているイメージを頂いた。次にトリイが門に

入っているイメージが頭に浮かぶ。「開」だと思いました。

 

 その前々日から翌日と2日間続けて研究生の井上治子さんが「閉」について書いているの

を読んだばかり。「閉と開」がそろったわけです。

 

 トリイは形から見てみると、井という字の上が突き抜けていないことから「至高の井」と

取ることができると小田野先生に教わったことがあります。

 

 井という字は三種類の読み音があります。天井という場合はジョウ、市井と言う場合はセ

イ、井戸の場合はイと読みます。上を見上げるとジョウ、人間社会で切磋琢磨している世界

ではセイ、掘り下げる際にはイと読み音が変わると考えてみると面白いものです。

この三つは私たちがこの世で肉体を持って生きている場合に使い分けている姿勢を端的

に表しているともいえます。

 

 人が上を見上げる時は主に何がその人の意識を占めているでしょう。

 

慨嘆(あ〜あ、どうしてこんな目に会わなければいけないのだろう)?

懇願(神様仏様どうぞ助けてください)?

思案投げ首(どうしたらいいか分からない)?

 

 などが代表でしょう。要するに自分では解決できないような問題に直面した時に取る姿勢

です。呼び名はその人の宗教や信念によって異なりますが、どこか上方にある、つまり天と

いう至高の叡智に頼っているのです。

「この世に神も仏も無いし、あの世なんて信じない。死んだら終わり」と言っている人が、

困った時に下を向いて解決して欲しいと願うでしょうか。下を向くときは自分の中で解決策

を摸索している時で、まだ何とかできるかもしれないと思っている時です。つまり掘り下げ

ているのです。諦めてはいないのです。諦めたら上を見ます。自分で解決できそうにないし、

神仏も至高の叡智存在も認めない時は周囲の賢そうな人や頼みになりそうな人に相談をし

ます。親や兄弟、親戚などでも頼みになりそうなら相談するか、助けてくれと頼むでしょう。

また、神仏を否定はしていなくとも、まだ周囲の人の助けで何とかなりそうなうちは大方の

人は天より先に相談するかもしれません。

 以上、姿勢によってつながろうとする相手が異なることは納得いただけたでしょうか。

さて、この頼みにする相手が、自分の人生の体験を通じて学んだことの中で顕在意識で把握

できる限りの全ての解決法がしまわれている倉庫の場合は比較的早く行き詰まりますので、

多くの場合は周囲の人に相談します。そして誰も助けてくれそうもないと分かった時に、上

を見上げるという順序になっていると思います。その上が「ジョウ」だと音が示しているの

です。

上も、場も、情も同じ音でつながっています。関係があるということです。これが天にあ

ると天井の井(ジョウ)なので、至高の井で形がトリイになります。トリイに石が付くと研

(深く考えて究めていく)ことになり、彡(三の意味)が付くと三次元という形になり、門

に入ると開くになるわけです。

門という囲まれた場所の出入り口、つまり制限された場にあるにも関わらず、その影響を

破って「開く」ことができる能力を持ったものが至高の井(ジョウ、場、情、上という天)

であると示されているように思います。

しかも音がトリイですので、「透理意」と当てられ、絶対透明真空の理(コトハリ=光透波

理)の展開されてる音の世界と取れます。それが眞の情なのだったら、愛の極地である絶対

愛の情となります。それが天なら、最後に全てを委ねる相手としていつも控えていらっしゃ

るので、辛いことも、厳しい現実も、難しい局面に遭遇してしまった際にも、心は平安であ

り続けられるのではないでしょうか。

 

2月というフ(普く負っている光透波)の月の14日、アルファベットNの数値、音はン

(閉音)という日の7(シチ、詞智)時、18分に頂きました。18はアルファベットR

数値、その裏で働いている裏数は9でiが当てられます。合わせると、Riリ理の日と取れま

す。

 

閉じるについて、井上治子さんが彼女の見地を書いてくださっているので、ご紹介します。

 

2010/02/15