字分けをしてみよう「正念場」 誠実 後記 「受容と委ね」 字分けをしてみよう「誠実」

字分けをしてみよう

 

誠実

 

 10月22日の午後のこと。五反田にある命波研究会の教室に向かう途上で「ふと」前

を歩いて行く男性に気がついた。体全体が大きく右に傾いた姿勢で、重そうなカバンを右

手に提げているので、カバンの底がほとんど地面に触れそうな状態になっている。脚の長

さも違うのだろう、一歩毎に体が大きく揺れる。そういう状態にも拘わらず穏やかな表情

を見た際何か親しいような感情が心に湧き起こった。

気付いた時が何か行動する促しだと心得ている為、すぐに遠隔ヒーリングを始めた。必

要な言葉を声に出さずに全部言い終えたその時点で男性は左折して、とあるビルに入って

行った。入り口の上部に大きくビルの名前が「第一誠実館」と書いてあった。

その日の命波研究会で研究生の一人がその事件に関連性のある質問をした。その人の知

人で非常に元気な人が言うことには、公共の場で近くにいる人に「エネルギーを盗られる」

ことが度々あり、その際に自分の体が「重く、汚れた感じになり、胃の辺りがムカつく」

という悩みを打ち明けたそう。それに対し「自分をヒーリングすればいいのではないか」

と助言したと言う。丁度「袖擦りあうも他生の縁」に関する事件が二つ重なったので、そ

れも踏まえて検証してみる。

 ちなみに、「自分へのヒーリング」はあまり効かないものだ。特にJOYヒーリングはあ

くまでも他者へする為のもので、他者に流れていく天のエネルギーが自分にも回ることで

結果的に癒されていくものなので、その「エネルギーを盗った」人が元気になるようにと

気遣うことが一番てっとり早い。また、「盗られた」と思うのは勘違いで、「元気」とは天

という「元」の「気=エネルギー」なので、元々自分のものではないから盗るとか盗られ

るとかして増えたり減ったりなどしない道理になっている。

 

2009年10月22日13時10分頃 「誠実」 という文字を見る。

 

 透明の「透」が当てはまる10月の22(2+2=4シ詞)。透明な詞とは光透波のこ

と。人体も含め、大星雲からミクロの微粒子に至るまでのあらゆる具象系の存在を懐胎し

ている「真空の母胎である透明な空間」言い換えると、一言で「間」という透明な光の充

満する「光透」という場は、言によって成立している。それが嘘でも仮想でもない誠(ま

こと)で、且つまた実体なのである。

私たちそれぞれの人は肉体を持って、その中に閉じ込められた状態で、否応なく受身で

生きている。それぞれの人の生涯は、縁あって今生、ある両親の下、ある肉体的条件を持

ったDNAを頂き、男性あるいは女性として、ある国の民族として、その民族の語を話す

ように教育されてその条件下で生きることを余儀なくされている。文句を言ってもしょう

がないのである。その限られた条件の中で精一杯幸せに輝いて生きたいと希求し、努力し

ているのが人生というものだと思う。それを「そのまま受け入れ、愛し、見守ってくださ

っている」のが天の実の親お二人とその子(ウ=宇宙)の子「字」という英知を視覚化し

た人生の道標なのである。宇宙の三人の三人目は宇宙の子である字であると同時に、生き

とし生けるもの全てでもある。全ての生がそれぞれ縁あってその形と状態で宇宙という母

胎に生命のエネルギーを供給されて生かされている。一つとして同じものはなく、それぞ

れがユニークな存在で、しかも平等に命を維持させていただいている。そしてそれぞれの

生が、あちらこちらで「ふと」何気なく係わり合いを持ち、互いに何かを学んでいく。ど

うしてめぐり合ったのかは分からないが、ともかくそれによって怒ったり、同情したり、
喜んだりと、引き起こされる感情的反応は様々だが、それによって何かを体験することで

学んでいるのである。

困った時、辛い時、選択肢が幾つもあってどうしていいか分からない時、悲しい時など

字を分けることでどれほど助けられ、援けられてきたことか。実とはまた状況を「見」る

ことで、その際に頂いた課題を「字」を「通」じて客観視することで「暗闇で手探り」し

ている状態から明確に状況を見て取れる状態へと移行できるということなのである。

 

2009/10/24