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字分けをしてみよう上級編
夢
8月13日の午後、フジスーパーという店からの帰り道、ふと前を走っている車のナンバープレート
を見ると、
「ゆ 1212」とある。頭の中で12はLで「開く」だし、次の12はやはりLだが、「得る」かなと思い
ながら角を曲がって後ろについた前の車を見ると、「め 1515」だった。曲がり角の手前の草地に生え
ていたため、「えのころ草ってねこじゃらしのことだ」と思っていた時に目に入った「めの1515」だっ
た。ねこじゃらしはさておき、あわせて「ゆめ」になるなと思いながら運転。さらに、15はアルファベ
ットの「O」でもうひとつの15は足して6、これは「ム」と読めるので「夢」も当てはまると思った。
2009/08/13 14:05に 「ゆ 1212」
14:10に 「め 1515」
を見せられた。
さて、翌々日の15日( O=王、央、大の日)午後に、インドのワンネスユニバーシティのスジェイ
講師と中西さんとお茶を飲みながら話をしていた際、ふと、「人間の頭の外側には何もない。全宇宙は
頭の中にある。今ではそれが科学的に実証されている」とスジェイ師が言った。
「人間はみな夢を見ているのだ」という思いが閃いた。宇宙なる具象の世界が「有る」と思いながら、
実は何もない「無」の中で、脳が、様々な光景を「あたかも有るかのごとく」見ている状態は、夢でな
くて何であろう。マトリックスという三部作になっている映画の中のシーンも思い出された。
夢とは不思議な現象である。目を閉じ、従って「何も見えない」肉体的状況のもとにありながら、あ
らゆる「光景」を「見」かつそれによって誘発される「感情的体験」もする。脳にとっては夢も、いわ
ゆる現実も全く同じ「体験」なのである(夢だから何も感じない、現実だから感じるという様な区別が
ないという意味)。また、この夢を通した「体験」によって、人間は情緒的安定を保っているらしいと
いうことは現代の科学で実証されている。人の睡眠時の脳波には、レム睡眠(REM)とノンレム睡眠
(non-REM)と2種類あり、その脳波が夢を見ている時と見ていない時を分けているのだが、このレム
睡眠中の被験者を起こして夢を中断し続けると、一晩でイライラを始め様々な不快な感情的状態を訴え
だし、2、3日で逆上あるいは異常な心理状態を覚える人が多く、数日以上精神的安定を保てる人はほ
とんどいないということが発表されている。
レム睡眠(REM)=夢を見ている状態で大脳活動は覚醒に近く眼球運動が見られる。
ノンレム睡眠(non-REM)=夢を見ていない状態ぐっすり熟睡している時。
http://www.s-awake.com/sub1-1.htm から
以上を踏まえて字分けをしてみる。
四次元という形のない電磁場において、完全なる環(形はO=終始がない形ともいえる)を成す、終
始のない無限の「無」の世界で、人は命の湧きあがる(情動の体験がある、従って生きているという実
感を持てる)状態へと誘われ、それに由って、何らかの思いという結実を得る。多くの場合、先述の実
験による結果と同じく、それによって精神の安定を保つという結実も得ている。この「夢という無の世
界」を展開している原因ともなる元素は、「絵あるいはイメージ」を人の脳に記憶として収納する不可
欠な道具である、言葉である。この元素は言葉という光なのである。この光は3次元の陽光とは異なり、
目を閉じても見える光、すなわち超高速電磁波の「光透波」である。8(ハ=波智)月13(アルファ
ベットのM)の日、つまり、具象としては存在し無いイメージとしての絵を見る、M(エム=絵夢)の
日に、絵夢を読み解くという課題を頂いたのだ。
さらに、無限、従って絶対の世界の實(虚でも嘘でも仮想でもない)音が展開している世界、すなわ
ち「意=音+心」を構成している光の詞を読み解くのなら、必ず答えはそこに示されている(秘=禾(示)
+必)と教えても頂いた。また光詞(光透波)によって出来ている「意という宇宙」は筋道が間違いな
く通っている理の支配、管理している場で、人間社会のような矛盾だらけの世界ではない。目を開いて
いても閉じていても、脳が夢見るのは何のためなのか。誘われながら湧き、「考え、反応し、体験」す
るのは何のためなのか。この疑問を読み解ける道具を吾々は「言語力」という形で頂いているのだ。
しかしこの道具は両刃の剣でもある。他の動植物とは異なり、道具を使い、環境を破壊し、互いに傷
つけあい、奪い合って、優越感や劣等感に苛まれるのも言語力の所産なのだから。課題は、如何にして、
言葉を使って光透波を汚さないで生きられるかということなのだが、他の全生命と共に共存共栄できる
ようになる責任を担っているのは唯一人間のみ、他の何物の責任でもないのだという自覚が先決である。
即ち人間とは「生命の基本性能として言語を持って、理知的自覚性能で生活する生物」である。
言語を持っているということは、ハッキリと抽象を所有しているということである。この抽象を所
有しているということが、知的な自覚能力の湧出を誘導して、人間の特権と特務の、大責任不可避
のキイポイントを為していることでなくて何であろう。
要するに人間性の特質は、煎じつめれば「考える世界」即ち「抽象」を所有していて、之を払拭
できぬことだと私は確信する。
―小田野早秧― 『考える力』P.58
2009/09/02