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字分けをしてみよう上級編
豆が走った
7月16日に逗子にいた時にいただいた「真力」という二文字が頭を離れない。いろいろな観点から
考えながら物を冷蔵庫にいれようとしていたのは22日のことだった。中にあったじゃまな袋をずらそ
うとしたとたん中身の大豆がこぼれ出た。ずいぶん遠くまで転がっていったために全部拾うのに苦労し
た。しゃがむのが苦手な私が苦労して一粒ずつ(大豆は一時には拾えないということを発見した)豆を
拾いながらふと、「豆が走った」と思った。そこで気づいたのが、逗子という字。


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逗という字の意味は多いが、まず「とどまる」あるいは「動かない」という意味がある。長逗留とい
う言葉があるくらいなので、そこに留まるというのが漢字辞書で一番先に書かれている。次に「ねらい
をつけてなげる」あるいは「目標にぴったり当てる」という意味がある。おおっ、これはいい。面白い。
何故かというと、次の字分けに関連してくるからだ。逗という字には訓読みがない。音読みはズあるい
はトウなのでどちらにも頭という字が当てられる。頭は何に使うかと訊かれれば、まず誰の答えも同じ
だと思う。落語なら「帽子の台にする」と言うだろうが、普通は「考えるために使う」と答えるだろう
ねらいをつけるのにも、目標にぴったり当てるのにも不可欠な条件は考えるということだ。ここでつな
がるので面白いと思ったのだ。
さて、逗を二つに分けると「豆」と「辶」になる。辶は走るという意味。豆はこれまたズあるいは
トウと読めるのでどちらにも頭という字が当てられる。では頭が走るということは具体的には何だろう。
頭が働いているということになると思う。当然「考える」という意味になる。では何を考えるのか。何
をせよと促すために天は私に豆をこぼさせたのだろうか(たかが豆をこぼしたくらいで、天意が関与し
ていると思うのは命波をしない人の反応です)。また、その前に逗子に行かせたのだろうか。
手がかりは二つある。まず一つ目。逗には日本語独特の訓読みがなかったが、豆にはある。「マメ」
だ。これに天鏡図から引いてきた文字を当てると「真命」になる。では真の命とは何なのだろう。偽り
あるいは仮の命ではない、と考える。以前に字分けをしたが、「偽」とは「人が為す」という意味にと
れるので、人間が産んだ限りある寿命の命とも取れる。したがって仮の命であって永遠の命ではない。
永遠の命について考えよということなのだと納得。
次に二つ目の手がかりを考える。豆をこぼした日は7月22日。時刻は11時頃だったが、手元に時
計がなくぴったりの数値ではないので、これは参考に使わないことにする。7は和数字で七。二つに分
けると「一とL」命波では通常一は絶対という意味に、Lは開くという意味に取る。絶対という一者あ
るいはOnenessが開くと出てくるのが七の世界であると字分けで分かる。絶対止速の光透波エネルギ
ーによって構築されている宇宙という七次元、すなわち真の命の展開する世界。この七番目という数値
を持つ月の22日。2すなわち二(フ)がダブルの日。足すと4になる日、そしてアルファベットでV、
これを検証する。
まず2/二がダブル。これは絶対無二の宇宙が開いて出来た「磁電場」という磁性と電性のある第二
宇宙の二、これが絶対止速と、遅い速度の二種類に展開しているダブルの磁電場と取った。絶対止速の
磁電場は永遠の命の世界。遅い速度の電磁場は仮の命の世界とも取れる。この二つの世界にまたがって
生きている人間は「ダブルのハット(帽子)をかぶって生きている」と小田野先生は教えておられた。
(どうでもいいかもしれないがここで落語の帽子の台の頭が出てきた!)。W+HATでWHAT(何とい
う疑問)になるからだ。地球上のあらゆる生物の中で人間だけが「何」と考える頭の配線を備え付けら
れて生まれてきている。考えながら、正確には考えないではいられないで生きているのが人間である。
そして考えるのに使うのは言葉である。命波では言葉を大別して2種類とし、ひとつは真の命の力を持
つ「詞」、もうひとつは人間の概念を集めた「語」であるとしている。詞はシと読むので数字は4があ
てはまり、語はゴと読むので数字の5があてはまる。ちなみにVはローマ数字では5の意味を持つ。
では5の意味は、、、と延々と続いてしまうので、ここでは止めにする。
さて、この真の命の力を考えるのに使うのは詞と語であるというところで、次の「子」を検証。宇宙
は始めから終わりまで全て、音と光と詞と数で出来ているので、これらを詳しく検証せよと命令された
のだと受け止めた。ちなみに「字」を二つに分けると「ウ(宇宙の意)+子」になる。
ぼんやりしている私の頭を「ゴツン」と叩いて促すためには「苦労させる」のが一番なので、腰を折
って、屈んで豆を一粒ずつ拾わされたのだ。字分けをあまりしない時の自分の心の状態を客観的に見て
みると、多くの場合心が傲慢になっているか、怠惰になっているかのどちらかだ。まあ傲慢と怠惰は同
じコインの裏表のようなものかもしれない。要するに人生「たかをくくって」いるということなのだと
思う今日この頃です。
2009/08/04
菊池 静流