宇宙の真髄

光透波

 

第四回(最終回)

 

   宇宙創造の神秘を解く鍵は文字に込められて人類に与えられた

 


  空間に萬一「真空体」非ざれば現実の一切は成立せず。
  人類に萬一「詞」非ざれば人類たる生活の一切は成立せず。
  この自覚は自由確立の第一歩なり。

  小田野早秧著『生命の原理』より。

 

  お陰さまでという心

 

 光透波理論のご紹介も今月で最終回となります。

 これまで読み進めてこられて、私達が日常何気なく使っている言葉の裏で働いている神秘的な力というものの 存在に気づいて頂けたでしょうか。

 毎日、人間は言葉を使って生活しています。たとえ声に出さなくても、「想う、考える、計画する、想像する、 工夫する」などの行為は言葉を使って行われています。言い換えれば、言葉というものがあるお陰で社会生活を していけるのです。

 「言葉ではとても言い表せないほどの思い」と言う場合も、言葉でそう言っているのです。ところがこのこと に気づいている人はあまりいません。それゆえ言葉に対する感謝心もあまりないのではないでしょうか。そして、 大切に思う心も当然ないと思います。

 この「大切に思う心」というものが実は大変重要なことなのです。
この文が掲載されている雑誌の名称はHADOですね。つまり「波動」のことですね。その波動にもいろいろあり、非常に粗いものから精妙なものまで様々な段階があることは皆様よくご承知のことだと思います。各々の人 に固有の波動というものもあり、また、同じ人でもその時々で変化もするでしょう。

 私の師小田野早秧先生はこの固有の波動を「命度(めいど)」と呼んでおられました。波動が精妙なほど命度が高いとい うことになります。これは私の感覚ですが、命度の高い人には一種の「爽やかさ」とか、「和やかさ」を感じます。 まさに小田野先生がそうでした。

 さて、「お陰さまで」という日本語には謙虚さと、感謝の心が込められています。この心が精妙な波動なのです。 そして、言葉を使わせていただき、生かしていただいていることに気づくと、その言葉を使って嘘をついたり、 人に暴言を吐いて傷つけることはとてもできなくなってきます。

 そのような優しい心が精妙な波動を放って、周囲を和ませ、明るくしているというその影響力に気づいている 人もおそらくあまりいないのではないかと思います。


  神秘とは明かされるもの

 

 言葉の原因は光透波である、と小田野先生は言っておられます。人間が使っているコトバを「言葉」と書き、 原因であるコトバを「光透波」と書いて区別されています。人語は何百種類もありますが、光透波は一種類で、 しかも全ての人語の基盤です。

 この基盤である方の光透波には七六種類の音があることはすでに述べました。そして夫々の音の持つ意味を、 人間が発見できるようにと用意周到に準備されていたものが文字と数なのです。

 「神秘」という熟語があります。以前は神祕と書きました。祕を分けると「必」と「示」になり、「神は必ず示 す」と読み解けます。

 では何を示すと言うのでしょう。神を分けると、「ネ」(シメス編と読み、示という意味)と「申」です。「申す、 示す」と読み解けます。「申す」とはコトバを話すことです。「コトバを話す」とは「音を発する」ことで、「コ トバ」という音で「示す」ともいえます。つまり、神は神意を隠したりせず「必ず示す」と文字で教えてくださ っているのです。

 このように音の意味は文字を分けるとわかるように用意されているのです。


  文字は天からの贈り物

 

 文字には表音文字と表意文字の2種類があります。アルファベットや仮名は表音文字、漢字は表意文字です。

 何故「漢字」というのかというと、中国の漢の時代に一番多く記録されたからです。後漢の時代(イエス・キ リストの生まれた頃)には約6万(一説には8万)もの文字が出来ていたそうです。

 現在康煕字典には4万9千字ほど収録されています。本字に加えて異体字、他の国で出来た文字を入れるか否 かで数は違ってきますが、いずれにしても何万という文字があり、それらは物をベースに作られた象形だけでは 出来ません。実際に、抽象的観念を表現する文字が大多数を占めています。

 では、抽象的な意味を表す文字は一体何を基盤に出来たのでしょう。小田野先生によれば、多くはフウチ呼ば れる一種のダウジングや自動書記を通して天から下ろされたと言います。

 つまり、人間が考案したものではないということです。

 今から2千年以上も前に、その時代の人類の文化程度を鑑みて、一国の、しかも一部の社会層の限られた数の 人間にはとても出来そうもないと言うのです。

 私も実際、字分けするなかで、文字が展開している意味の広がりから、原子物理学や量子力学、幾何学その他 の知識なくしてどうしてこんなに上手い字ができるだろうかと何度となく舌を巻きました。

 文字は人類に下ろされた、天の贈り物なのだと言われれば納得できます。

 字という文字を分けてみましょう。カタカナの「ウ」と漢字の「子」になります。命波で「ウ」は宇宙と取る ので「字は宇宙の子」とも読み解けます。今度は「子」を見ましょう。音読みでシあるいはス、訓読みでネある いはコと、読み音の多い字です。


 この音に天鏡図を参照して文字を当てると図のようになります。詞(ことば)と、詞を使うことで出来るいは、音の組 み合わせによって構成されています。この音はまた振動エネルギーであり、エネルギーはでもあります。また、 振動は別の見方をすればです。そしてこの宇宙は振動でできています。振動の違いが森羅万象を成立させて いるのです。

 音という音波現象を光波現象である形というもので表したものが文です。大然という母なる宇宙、つまり という(場)から地上の人類に下ろされて、目に見える形になっているものが字なのです。

 また、というは完全無欠の(コトハリ=光透波理)によって運行維持されている世界です。人間社会と は異なり、誤謬(ごびゅう)というもののない整然たる秩序のある世界を成立させているものは、の法則です。数には狂い の無い順序性、法則性があります。

 狂いのなさという例にDNAの4つの塩基の組み合わせというものがあります。たった一つの組み合わせの違 いが、まったく違う物をつくる、つまりカエルの子はカエルで、決してヘビやトカゲが生まれることはありませ ん。

 そしてその天の座の実態は数話(数と、話つまり詞)です。話もコトバですから。天の実態は数法則によって 狂い無く機能している詞(光透波)なのです。

 また、天という無限の生命の場にはまりもわりもありません。永遠に循環しているのです。「子」という 字は始まりを意味する「一」と終わりを意味する「了」という字からできています。

 このように、たった一文字を分けることで、これだけの内容が展開されるのです。
 字分けに慣れていない方には読みにくいかもしれませんが、図をよくご覧になり、かみしめてください。何か が閃いてくるかもしれません。字分けとは閃きの招致なのです。


  引力と斥力

 

 以前に「宇宙の森羅万象は全て振動でできている」と書きました。そのできた物は固体、液体、気体を問わず 全てエネルギーでもあります。私たちの肉体もエネルギーであり、このエネルギーは目で見ることも触ることも 出来ません。

 小田野先生は著書『生命の原理』のなかで、
  常に無形現象として、音と熱を伴う動く性能である。そして無形ではあっても
  実在であることは間違いない。
 実在である証拠に動向という特性を持っている。すなわち、引力という内向する力と斥力という外向する力で ある。

 引力が斥力を上回ることで起きる現象が物質化で、例えば地球とそこに住む私たちの肉体は引力主動の存在 である。これに対し、太陽は発光という形で力を外に向けている斥力主動の存在である。この二つの、力の動 向のバランスで森羅万象が成立している。と述べています。


  人間には2通りの生き方しかない

 

 小田野先生は、「人間には宇宙の法則に沿っている合理的な生き方と、それとは反対に相克している不合理な生き方と二種類の生き方がある」と言います。善悪、賢愚、優劣などは地域的あるいは主観的な区別ですが、単 に合理か、不合理かという区別は普遍的です。つまり主観による過誤の発生しない普遍的理なのです。

 原始、人間は肉体生命の維持を主目的とする即物的生活をしていました。それは食欲と種族保存の為の性欲を 満足させる為の生活です。

 その後、集団社会生活に必要な言語力が発達していき、さらに文字の出現により文明文化が発達しました。そ れと共に、徐々に理知力が培われていったのです。

 では、何故、人間の理知力が発達したのかというと、考えるために使っている人語である言葉の根底にある実 の力、詞(光透波)の本質が理知力だからなのだと小田野先生は言います。順序性を鑑(かんが)みれば、5(語)の前に 4(詞)があります。語をゴ、詞をシと読むのは決して偶然などではないのです。

 当然、肉体生命の維持には物質的な需要があり、物質エネルギーの動向は引力主動です。これに善悪はありま せん。

 しかし、この肉体媒介本能に耽溺陶酔して、目の前の有形の物質(引力のある地球の派生物)をより多く獲得 しようと、手段を選ばず、嘘をついたり、約束を破ったりする生き方が1つ目の生き方です。

 この場合は自己の言質(げんち)(生命に直の力)を自ら破るような「真の自己否定」を犯したことになります。生命に 直の力をとり逃がして生きるのですから、当然不合理であり、そのため病気にもなるでしょうし、何より爽快と は言えない感覚が発生するでしょう。

 これに対し、肉体維持に必要最小限度の意識の配分はしていても、主に理性の獲得に主眼を置いた斥力主動の 意識状態を維持するのが二つ目の生き方です。

 常時、無限なる「詞と字」の本質に感応して生きている為には、嘘をつかない、約束を守る、そして責任を持 って生きることです。

 引力から斥力への進化は明度でいえば、暗黒(ブラックホール)から光への移行です。心理的に言えば暗知性 から明知性への移行です。暗闇で手探りをして動いている時に一条の光が射したらどうなるか。どれほど多くの 状況が明晰に把握できるでしょうか。これが進化の道程です。

 「不合理」とは暗知性(引力的性能への感応状態)の作用。「合理」とは明知性(斥力的性能への感応状態)の 作用である。また、地獄・極楽という比喩の意味するところは、二つの生き方のどちらをしているかということ。 そして、肉体を離れた後、夫々の人(個性)は「生電磁場」への感度のみで生活することになる。と小田野先生 は言っています。さらには、実際に亡くなった人々が動き回りながら何かブツブツと言っているのを見ることも、聞くこともできるとも。

 肉体があったときは、物質性にだけ意識を向けていた個性は、ひき続き暗知命度の限界性の中で、さながら大 海に指針なく漂流するような状態を成立しているのだそうです。仏教ではそれを地獄と表現したのでしょう。

 いずれの生き方も言葉に対する姿勢が関わっています。普段何気なく使っていますが、大変な意味があったの です。

                                 おわり

参考文献
『生命の原理』小田野早秧著