ここにご紹介しているものは、昨年『HADO』という雑誌に掲載された文に多少の変更を加えたものです。

 

 

宇宙の真髄

光透波

 

言葉に隠されている真実を学ぶ「命波理論」

 

第一回

 

「命波」理論とは、言葉の持つエネルギーを対象にした独自の研究です。

命の根元エネルギーである波動・バイブレーションは「天の命の波」=「光透波」です。

人語がそれぞれの人の価値観によって意味が異なるのに対し、「光透波」の意味は絶対的なものであると考えます。

それ故長い歴史の中で人類が蓄積してきた膨大な「知識」は概念であって、絶対普遍ではありません。

この概念を覆し、真理が姿を現すように誘引するのが「字分け」という手法なのです。

これよって知識という膨大な情報も整理できます。

 

 

数・音・文字3つの共通点を探して

 

 カバラ数秘術では「数字に意味がある」とされています。ということから「数も言葉だ」と考えられます。そこで私の師である 小田野 早秧 先生は「数」と話し言葉として使われている「音」と「文字」という形の3つの共通項はないだろうか・・・とお考えになったのです。

 まず言葉と数には幾何的な形という共通項があります。ご存知のように幾何とは数学のことです。「命波」では数学が扱っている数というものも言語同様に意味を持つ一種の言葉であると考えます。幾何形は角度、頂点の数、稜線の数で表現することができます。

文字も形です。それが顕著に表れているのは漢字です。漢字を分解すると、カタカナ、点、そして数学記号になります。

そこで何か共通項がないか?と小田野先生は探っていかれたのです。

幾何的な形という表現がありますが、幾何とは数学のことです。幾何形は角度、頂点の数、稜線の数で表現することができます。文字も形です。それが顕著なのは漢字です。漢字を分解すると、カタカナ、点、そして数学記号になります。そこで、何か共通項がないか?と小田野先生は探っていかれたのです。

 

私は小田野先生に初めてお会いしてからの12年間はいくら勧められても光透波に気持ちが向きませんでした。

しかし、惨憺たる人生を歩み、死に直面したとき、やっと先生のお宅を訪ねることができたのです。

すると先生は「とうとう来てくれたわね」と両手を差し伸べて私を迎えてくださいました。

 

学びの多い人生

それによって天の親心を学ぶ

 

 まず命波学を学びたいと私どもの門を叩かれる方は、人生に疑問を持っておられる、あるいは何らかの問題に直面し、解決の方法が見当たらないことで、これからどうしたらいいか分からない、という方が多いかもしれません。

 どうしてこんなに辛い思いまでして生きなければならないのか。神様が慈悲深き存在ならば、何故こんなに苦しめられなければならないのだろう。神様ってこんなに意地悪なの?と思う方も多いのではないですか。

 そしていろいろな師のもとで学び、様々な治療を試し、できる限りのことをしても、なお苦しい。生きて何になる……と切羽詰ったこともありませんか。

 

小田野先生も人生において、非常に悩み多き、そして厳しい生き方をされた方でした。27歳のとき、クモ膜下出血で倒れるほどの過労を経験されています。先生以上に凄まじい生き方をされた方にお会いしたことがありません。

先生は妥協を一切せず、自分の意志を貫き、しかも嘘をつきません。ですから社会に適応することは難しかったと思います。

しかし、そういう厳しい人生を歩んで来た方だからこそ、「誰もが私のような苦労をしなくともいいのですよ。それぞれの役割ですから。あなたは今回の人生、苦さや辛さをちょっと味わってみる.....それくらいでいいかもしれませんね」とおっしゃるのだと思います。

しかし、「辛酸をなめるとは、人生において天からの最高のプレゼントです。すべてが順風満帆だと退屈でしょう。空しいでしょう。私はきっと前世でさんざん楽な人生をやって、つまらないから今回はもっと厳しい環境で、もっと磨かれたいと思って、生まれてきたのでしょうね。でなければ言葉の研究なんてしないと思います。これは変人のやることですよ」と、「天の親心」というものを教えていただいたのです。

 

文字を分けることはエネルギーを生むこと

 

 慈しみの愛は溺愛とはちがい、とても厳しいものだと思います。先生はそういう厳しい愛を親心と受け止めていらっしゃいました。厳しい島と書いて、イツクシマと読むのはそういうことだと教わりました。

先生はその「天の親心」を学ぶために字分けをしています。文字を分けるごとに天の実親の愛がひしひしと伝わってくるのです。そしてその醍醐味は自分でやってみないかぎり、絶対にわかりません」とも。

7,8年前まで、私自身「文字を分けることでいったい何が起きるのか」という疑問は消えませんでした。漢字を分けるとは何だろう。何の役にたつのだろう.....と。

 

しかし、次第に変化が起こってきました。文字を分けるときに、エネルギーが私の周りを巡るのです。文字を分解すると、そこから大きなエネルギーが解放されるような感じがしてくるのです。

たとえば、原子が分解されると原子力というエネルギーが発生します。つまり物事が小さくなるときには、非常に大きなエネルギーが生まれてくるという現象が起こります。

それと同じように、文字を分解していくときには、頭の中に強いエネルギーが流れるのです。それは非常に振動数の高いエネルギーで、これが「光透波」です。

このエネルギーは精妙です。そしてどうやら眠っている、もしくは滞っている人の意識を揺さぶり、高めるようなのです。

ですから、怖いとき、不安なとき、その意味する漢字を分けていくと、いつの間にかハッと気づくときがあります。すると、だんだん周りがよく見えるようになり、天の意思が、愛が、わかるようになるのです。

 

命波は全ての事象を体系化できる

 

 人間の悩みは大体において似たようなもので、根底には共通のものがあります。その共通のものとは何なのか、まずそれを整理してみましょう。

 悩みの全体像を把握し、体系づける必要があります。「命波」を学ぶと、その方法が自然に理解でき、身についてくるのです。それは、人とは何か。感情とは何か。何の為に生まれてくるのか。人生の目的とは何か。死とは何か。そういうことが根本からわかることで可能になります。

 これが「命波」を学ぶことの最大のメリットだといってもいいのではないでしょうか。漢字を分けていくと、世の中は自然の成り立ちがものの道理としてわかってくるのですから。

 

 私は心理学や哲学を少し勉強した経験があるのですが、難しい本を読むと、意味がわからないことがありました。しかし、漢字を分けることで、今までわからなかったことがだんだんわかるようになってきました。

 哲学や心理学、神秘学などジャンルに関係なく、本、つまり文字とは、それらの根底に流れている精妙なメッセージであり、智恵ある人が一生懸命、模索した結果を文章に表しているのです。

 その源は「人類愛」でしょう。もし自分だけ救われればいいのなら、誰も本などに著すことはしないでしょうし、自分さえ悟ることができればいいと考えるなら、一生をかけて勉強し続けることはしないと思います。

 しかし、偉い人は違ったのですね。仏陀やキリストの教えを受けて、大きな気づきを体験し、心の平安を得た聖者たちはそれぞれの体験を書き残しました。プラトン、ソクラテス、デカルト、カント、空海、親鸞たちも自らが学び取ったことを文字にして後世の人々に遺していっています。

 その「人類愛」こそが、精妙な宇宙の真髄と同じ波動なのです。世界が平和であるように.....とは、人類みんなの願いです。それを伝えることに意味があります。

 宗教や人種などさまざまな切り口がありますが、共通しているのは、戦争のない平和な世の中になり、すべての人々が幸せになって欲しいということ。それがわかるとどんな本を読んでいても、理解できるようになりました。

 本を読むというよりもむしろ、さまざまな先人たちの智恵が自分の脳に入ってくるような感覚といったらいいでしょうか。

 今まで学問として取り入れてきたものが、突然、自分の血になり、肉になってくる.....、そういう経験をするようになったのは、小田野先生のもとで学ぶようになって5,6年経っていたころでした。まことに残念なことには、やっと少しわかりかけてきた頃に先生が他界されてしまったことです。それでも書き残されたもの、録音されたものを頼りに、学びを続けております。

 

宇宙の深い真理を読みとる、それが「命波」

 

 だんだん世の中が理解でき、宇宙の深い真理に触れることができ、読み取ることができるようになる.....。人の出す波動が精妙になってくるということはそういうことだったのだと、少しずつわかってきました。

 自分の意識がより振動数の高い、精妙な思いに同調していくにつれ、理解が広がって深まり、洞察力が増し、それと同時に明晰になっていきます。状況を明晰に見て取れるようになると、辛いことや苦しいことが大したことではなくなります。自分で解決方法がわかっているので、悩みではなくなってしまうのです。

 そして最終的には、死が私たちを待っていますが、それさえどうということはありません。生命そのものは永遠で、個々人を分けていた肉体が消滅するだけ、ということをきちんと心から納得しているわけですから。命波を学ぶことができてつくづく良かったと思います。