命波を学ぶ方へ


 別のところでも分けた字です。これを他の分け方で見てみましょう。

 一とはひとつ、つまり絶対という意味でもあります。ひとつを英語でワン、絶対性をワンネスといいます。絶対という根幹(ルーツ、すなわち命の源)は光という形で運ばれ(云の意味)常に加えられている。つまり頂いています。これを受けている形なので、受け箱です。絶対を受けている単なる受け箱が自分であると自覚できると、自分で生きているのではなく、頂いた命のエネルギーで生かされているということが実感となってくるようになるのではないかと思います。  

 また、口は肉体の栄養源である食べ物を入れる入り口でもあります。食べ物もまた自然の恵みという頂き物です。この恵みを口から入れて噛みしめると、自然に消化酵素が分泌され、唾液に含まれます。これを唾液のお陰で嚥下し(唾液がないと呑み込めません)、胃腸でまた別の消化酵素の働きで消化吸収が行われ、肉体の生命維持が行われます。

 いうなれば命の産みの親である天の叡智のお世話になりっぱなしなわけです。

 絶対という命のエネルギーの単なる受け箱であるということが納得できるのではないかと思います。

 口を英語ではmouthと言います。マウスと発音(英語の子音の発音ではなく、日本的に一音ずつ発音した場合)、申すという字が当てられます。現在はモウスと発音しますが、神主さんが古代の日本語で祝詞をあげている際はマウスと発音しているので、昔はそう言っていたのでしょう。口で言葉を話すことを申すと言います。面白いですね。

 この口に肉体維持の食べ物を入れている時には話はできません。人間の顔に目は二つ、耳も二つ、鼻の孔も二つあります。見る、聞く、呼吸するという為に二つあるのに、口はひとつです。食べると申すが同時に出来ないようになっています。面白い字があります。飯です。食事のことを飯と言う人があるように飯は食物の代表ですね。この飯という字は「食」に「反」と書きます。食べるのに反するのは具体的に何でしょうか。話すということです。同時に出来ないわけですから。メシと発音し、天鏡図からの文字を当てると、「命」と「詞」となります。命の詞(コトバ)が食べ物なのだというふうに取れました。

 赤ちゃんは声をかけてあげないと病気になったり、情緒不安定になったりするそうです。それが嵩じると死んでしまうそうです。第二次大戦中にドイツでユダヤ人の赤ん坊を使って行われた実験の結果で、心理学の教科書に載っています。これで分かるようにコトバは命の食べ物なのです。

2006/11/25