命波を学ぶ方へ

衣食住


 人生で欠くべからざるものと言えば衣食住だと思いますが、それに関する文字を三つ挙げて、分けてみましょう。

 衣服は身を包むもので、人間だけが必要とします。他のいかなる動植物も裸、つまり生まれたままの格好をして生きています。この「裸」という字ですが、分けると衣の果てとなります。究極の衣服という意味ともとれます。究極的には何も着ないのが衣服ということです。

 食の関係では「飯」という字があります。「飯が食えない」という表現は生きていけないという意味です。食べなければ生きられないからそう言うのでしょう。ところがこの飯という字を分けると、食べるに反する。つまり食べないという意味になります。

 住に関係して「舎」という字があります。家、あるいは手足を伸ばしてくつろげる場所という意味です。ところがこの字には、捨てる、あるいは手放すという意味があります。舎に(手)を付けても同じ意味の捨となります。家を捨てるとは出家するという意味にもなりますが、同じ舎という字に住む場所と捨てるという意味があるのが面白いですね。出家は家柄や階級という特典までも捨て去って、それこそ裸で勝負するという行為です。

 関連して思い浮かぶ字は「建」です。家を建てる時にもこの字が使われますが、この建という字には壊すという意味があります。

 何故一つの文字に相反する意味があるのでしょう?

 調和と中道という考えに関係があります。どちらに傾き過ぎても心の安定はないと悟って、『中道』を悟りの境地と言ったのは釈尊です。釈尊も出家した人です。

 「こうであるべき」「こうであってはならない」などという思い込みやこだわりは不幸の元だということです。力学的には、バランスは左右の重みが均等な際にとれます。

 文字も一文字の中でちゃんとバランスをとっているものがあるということです。ここに挙げた字は一目瞭然にバランスが取れていると分かりますが、一見して意味が相反する熟語で、実はエネルギー的見地から見ると、相反していないというものも数多くあります。例えば大小です。エネルギーは形のないものなので、そこに領域という仕切りはありません。無形であれば大小は存在しません。これは「奈」という字が示しています。意味は「如何に」という疑問ですが、分けると大=小となります。

 また同じ読み音なのに、相反する意味の文字もあり、これは音が同じという意味においては共通項があると取ることができます。例えば「血」と「智」は同じ音です。血は肉体の中で循環して体を生かしています。智は宇宙に充満して、循環し、全ての生命を生かしているエネルギーと同質のものであるという考えが命波の解釈です。また、父はチチと読めますが、乳は母が供給します。母は子供を産まなければ乳を作りません。子供は父がいなければ出来ません。両者なければ乳という血(血液が乳腺に入ると約2秒で乳に転換されるそうです)は循環しないわけです。幼児にとっては命の糧である乳ですが、この乳が生命維持と成長に必要とされるあらゆる栄養素を備えているのです。子供が成長するに従って乳の成分は変化していくそうです。母親が何もしなくてもそうなります。自然という智が働いているのです。乳は血智ですねえ。

2006/01/29