命波を学ぶ方へ

命波を学ぶ方へ
〜奴(ヤッコ)こぼれ話〜


 まず、以前人間という意味の語である「奴―ヤッコ/八光」について書いたことがあります。それに関連のある発見から始めます。
 以下はインターネットで発見した「シュメール語事始」という講座にあった情報です。

 シュメールの文字は、初めは具体的な物の形を表した絵文字でした。それがやがて単純化されて表意文字となり、さらに進んで表音文字が作られて、文章を言葉どおりに言い表せるようになりました。  シュメールでは、光輝くものは、神であり、天でもあります。
「八光の星」 は、神( dingir )を示しますが、最高位の神は天のアン神であるので、「アン( an )」とも読み、天を表し、更に単純に「 an 」という音を表す表音文字にもなりました。

 病膏肓の命波学ですが、先月「囲」というエッセイを紹介しましたね。あの続きです。
最高の位にある天の神が「アン」なら日本語の五十音の始めと終わりですね。五十音はだれが作ったのものなのか不明なようです。きちんと並んでいる形態はアルファベットとの形態とは全く違います。この整然とした並び方に注目して、音の並び方の順番が何かの意味があるに違いないと考えたのが小田野早秧先生ですが、音(振動)が宇宙を創り、また維持しているのですが、その創生の順序が五十音だと言うのです。「宇宙に偶然はない」と神秘家が主張するのは自然法則が数学的に説明出来るような整然として一貫した性質をしているからなのです。一例として、エネルギーが八方向に(八本の光の軌跡を作りながら)動いている状態を「神」としたら、これは数学的に表現できる形態です。

 今まで色々な分野に細分化されて研究されてきた自然科学の研究対象が大きな全体図の中のどこにはまるかを研究し始めた人たちがいます。大統一理論とか超大統一理論と銘打って自然界の法則を一貫性のある形にまとめていこうという動きです。無機物有機物を問わず万物を構成している大本のそれこそ根本的原理を数学的に明らかにしていこうというのです。

 何の為に?

 当たり前すぎて考えたことはないかもしれませんが、元々学問とか研究とかには目的があったのです。食べて、飲んで、恋をして、子供を産み育て、歳をとって死んでいくだけでもいいのに、何でわざわざ頭を悩ませ、一生懸命勉強して、研鑽努力して様々な理論を構築しようとしたのでしょう。目的もないのにそんなことを一生涯懸けてする人がこんなに大勢いるはずはありません。

 哲学も科学も神学も神秘学もせんじつめれば人類の平和と幸福と繁栄の為になると思って研究したに違いありません。そして、二十世紀までは過渡期的に専門化細分化が進み、研究の成果が実るにつれて円熟した人類の知恵の集大成が、この二十一世紀に入って一挙に統合化されようと始めたように見受けられます。

 統合の要は各分野における共通のプラットファームを作ることです。そのプラットフォームが数学なのです。と言ってもそんなに難しい高等数学ではなく、高等学校卒業程度の数学が分かれば大丈夫理解できるように物事を説明してくれている親切な学者も出てきています。また、完全に理解できなくても 「まあ、きっとそうなんだろう」と想像できるなら事足ります。私がそうです。

 感情を交えず数学的に森羅万象のなりたちを明確にできたら科学と人文学と宗教を統合することができるのではないでしょうか。人間は今までそうであるかもしれないが、違うかもしれないという真理を感情的に好き嫌いで支持したり、批判したりしてきたのです。心の構造が明確になったら各自が一番大事だと思ってしがみついてきた信条が大きな世界の一部分にしか過ぎなかったと気づき、縄張り意識が消えるのではないでしょうか。自分が何であるかが分かったらもうそれで大安堵なのです。大安堵してから喧嘩する人はないでしょう。

 人間は、曖昧と混沌は不愉快、明確は気持ちが良いという情緒的反応が起きるように作られているのです。曖昧と混沌を明確化するための研鑽をするのに必要な言語能力というものを備えられて生み出されたのが人間(奴)なのです。八方向に光を放っているものは人間でもあるのです。となると、人間は神のような機能を持って生み出されたということになります。

 何の為に?
 それを皆さんとご一緒に考えていきたいと思います。

2005/09/05