眼からウロコの「諦」

眼からウロコの「諦」


 諦という字は単に諦めるという意味だとず〜っと思っていました。一度も漢和辞典で調べたことがなかったのです。

 愛用している学研出版の『漢字源』を調べてビックリ仰天。以下の順番で意味が書いてありました。

1  つまびらかにする、または、あきらかにする。いろいろ観察をまとめて、真相をはっきりさせるということ。ちなみに「つまびらか」と読む字は3つあり、詳と審と諦です。
2  まこと。全体をとりまとめて見通した真相。
3  真理、また、悟り。
あきらめる。しかたがない、またはできないとして、物事をやめる。思い切る。

 いろいろ探求して、真相を詳細まで明らかにして、解った真理を悟り、しかたがないと諦めるという順序なのです。

 人間がその限りある生涯を通じ、探求しても探求しても、なおかつ残る疑問というものを、どうしようもないと、悟って、あきらめると、何が出てくるかと言いますと、何と言(コトバ)の王様なのです。

 人間の知恵の限界性を悟り、至高の速度で回転している天意(弖意)である「光透波/言」に対し、「もう分かりません。どうぞお任せします」と手を上げて委ねてしまう姿勢をとる。それが究極の諦めで、そうしたら、真理がその姿を見せてくださる。それで悟れる。と、こういう天の仕組みを直感しました。

 ちなみに、英語で諦めるというのを、give upと言います。上に上げちゃう。つまり手を上げてしまう姿勢です。

2005/01/26