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光透波はワンネス |
以前小田野先生にこう言われたことがあります。 「菊池静流っていうのは光透波なのよ」 言われた時私は大変な誤りを犯しました。私の名前が菊池静流なので、私が光透波なのだと思ってしまったのです。その後もずっとその誤りに気づかず、終に2004年の12月、インドでやっと気づきました。
菊池静流が光透波なのです。
分かりますか、この違い?
「名前の無い方」と呼ばれる人がいます。以前その方のお弟子さんから講義を受けたことがあります。 さて、悟りの境地に達したいと願う求道者と呼ばれる人たちの多くが、達成しないままに死んでいきました。歴史上、悟りを開いたとして知られている人がいかに少数であるかを見れば分かると思います。悟ったと言われている人たち、釈迦、イエス・キリスト、マホメット、弘法大師、法然聖人、親鸞、達磨大師、クリシュナ・ムルティー、ラマナ・マハリシなど、夫々が悟った後の考え方を教えとして遺していかれましたが、残念ながら、先駆者に次ぐ人たちの数は非常に少なかったと言わざるを得ません。 何故でしょう?
何故なら悟りは、喩えて言えば、開拓者が自力で畑を切り拓いていくようにはいかないからです。自力でその境地に達することは出来ないということを私たちは知らなかったからです。何故自力では出来ないかというと、「自分」が悟りを開こうとする「主体」になっているからです。「自分なんてものは無い」のだと気づくのが悟りなのに、それを「気づく主体」があっては当然出来ません。
宇宙を創った創造の源はサンスクリット語で「ブラハマー」と言います。そのブラハマーには二つの側面があり、バガバンとアンマ、あるいはイダーとピンガラと呼ばれています、バガバン/ピンガラが陽、アンマ/イダーが陰のエネルギーです。 | |||
2005/01/09 |