煙


「煙って不思議ねえ」

ある日小田野先生が突然そう言われました。いつもながら何のことか分からず、黙っていると、 「まるで実体がないのにこうしてちゃんと見えるのですから。ねえあなた、他にそんなもの有って?」 と聞かれ、はて、霧かなと思いましたが、いやあれは湿っぽいな。では霞かな、などと考えていました。それから何か続きの話でもあるのかと待っていたのですが、それっきり他の話に移ってしまい、私もそのことは忘れていました。

 今朝仏壇でお線香をあげてからふと見ると薄い煙が立ち昇っていました。なんとも柔らかくなめらかな煙というものにふと意識が同調しました。

 その時に、ああ何と体が重いのだろうと感じたのです。淡い煙の細くたなびいて、上に昇っていくにつれ薄くかすれていくその先が目に見えなくなるまで見つめていると、「精妙」という言葉が実感として感じられるのです。

 煙という字を分けて見ると、火と西と土になります。

 「西方浄土」という言葉があります。浄土というのは仏教用語ですが、他に天国とか神仏の住むところとか、宗教によって表現は違いますが理想郷のことです。「西と土」とは西の方にある土地のこと、これを今回私は「西洋」ではなく「浄土」と解釈しました。火はエネルギーのことと解釈できます。西方浄土にあるようなエネルギーとはさぞかし精妙な波動を持ったものと思います。

 字分けをしていて、何故この字をこのように解釈し、他の意味に取らなかったのかという質問を時々受けます。それは字を分けている過程で「閃く思い」というものがあるからです。煙という字を分けていた際に閃いた思いが「西方浄土」というコトバだったのです。

 字分けをすることの意義の一つは「閃き」の招致なのです。簡単に言うと普段は眠っている明晰な自分が目覚めてくるということです。


2004/05/18